2006年01月13日

(by Hideki - かりん)刹那の時代

Life Design

またまた最近みつけた、お気に入りのブログ「教育の窓・ある退職校長の想い」
http://blog.livedoor.jp/rve83253/
元校長先生で、今は初任者の指導をしておられる方なんですが、いろいろと教えられる
ことが多いです。

その中での記事、「二極化現象を考える」にトラックバックします。
http://blog.livedoor.jp/rve83253/archives/339861.html

てなわけで、今回も自閉症に関係しない。。。かも(ごめんなさい)
しかも、思いっきり小難しい・お硬い話です(じゃあ書くなって?…すみません)

それでも良いよ、という方は、続きをどうぞ m(_ _)m




年末に読んだ記事(出展は忘れました)で、現代のキーワードとして「3つの社会」の
崩壊というものがありました。それは、地域社会・家族社会・会社社会の3つだという
ものです。地域のつながりが薄くなり、家族のあり方がかわり、会社との関係が変わっ
たことによる、従来の関係?社会がなりたたなくなったというんです。

いっぽうで、より一層「個」の自由が引き立つようになってきました。個の自由という
より、「個の尊重」とといったほうが適切かもしれません。「より私らしくありたい」「自分探し」といったキーワードが雑誌の表紙に目立つ気がします。「あなたの価値観
をおしつけないで」というやりとりが、掲示板の討論では必ず出てきます。

あくまでも私見ですが、殊この10年という点だけでみれば、会社社会の変貌が一番大き
かったのではないかと思う。終身雇用制の終焉、ベア(定昇)ゼロ、老舗の超優良企業
の廃業。安定の代名詞でもあった銀行・金融ですら分からない。私が子どもの頃は受験
戦争真っ盛り…良い学校でて、良い会社に入れば、まあ何とかなるということを言われ
てましたが、それは幻想だという生々しい現実を、世の中の多くのサラリーマンにつき
つけたわけです。

一転して、独立・起業といったことが、すごく注目されました、一方で会社の中では、
それまでと180度かわった「成果主義」に。結果、ビジネススクールが大流行しました。

もちろん、私は「実力主義」には大賛成なんです。実力があって貢献している人よりも、
さしたる貢献をしていない人のほうが報酬が多いのは、どう考えてもおかしい。

でも、急激な環境変化について来れない人がいて、実力主義の御旗のもと、ばっさりと
切りすててしまったのも確かだと思うのです。そして、それを「負け組」としてしまう。

自分がいままで立ってきた価値観や前提がくずれ、しかも先がまったく見えないという
不安に直面したとき、どうなるか?不安な材料になる言葉は、新聞を毎日のように賑わ
せています。「年金破綻」「保険破綻」「所得格差」「税の水平公課」

  …自分を見つめなおし、自分の価値を洗い直し、将来にむけての像を再度描く
  …とりあえず、今という時を精一杯充足させてすごす。

この記事で指摘された「2極化」には、こんな側面も感じてしまうんです。

「刹那の時代」
  …そして、この言葉が自然に頭にうかんでしまう。
   いや、もう一個の「自律の時代」というのもあるべきなんだけど、
   一点豪華主義、一瞬の贅沢、という、刹那的な消費が目立つ気がするんです。

そして、もうひとつ加えるなら、2007年問題。実際には、それより早く起きてしまいま
したが小子化?人口減少の話です。たぶん、結婚・出産という2つの因子は、当面増え
ることはないと思います。となると、労働力という点では高齢者の再雇用ですが、それ
にくわえて外国人労働者の増加も十分考えられます。今住んでいるまわりに、日本人以
外の人がどんどんと増えてくる。

その場合、その受け入れ方を一歩間違うと、フランスと同じような状況になりかねない。
昨年の暴動が、対岸の火事の話じゃなくなってくる。

自分とはちょっと異なる、異質な人間を、同じ人間として認め、つきあっていけるのか、
自分と同じタイプの人だけしか認めない、排他的な仲間集団になっていくのか
、そこも
2極化する可能性もあります。

ちょっと話が拡散しすぎちゃいましたので、大元のトラックバック先のテーマ「教育
という点にフォーカスを戻せば、Toshi先生は

そして、ここにこそ、現代における『教育』の、最大の意義を見出すことができる。も
はや、かっこつけ、建前は、むなしいだけだ。豊かな心を育む教育、それは、時代の要
請ともいえる。急務である。

と結ばれています。この点、私はまったく同意です。

ややもすると、刹那的・排他的になってしまいがちな時代に、個の尊重という点で自律
を求められる時代だからこそ、しっかり教える必要があると思う。自分を大切にして、
自由を重要視する今だからこそ、他人・相手の気持ちを慮り、相手の為を思う「心」
しっかり育てるべきだと思う。そうじゃないと、ただの自己中なだけ。

その点でいえば、自分とは異なる存在に触れる機会を増やすことが大切なんではないか
と思う。それともう一つ、「障害児」との接点をもっと増やす事も、実は重要になって
くるのではないか?と思うのです。もちろん、学校生活はそうでない場合よりも滞る事
は多くなるでしょう。効率も悪い。授業が多少遅れるかもしれない。

でも、自分にとっては当たり前なことが、じつは当たり前でない人がいる、という事を
知ることから得られるものって、かなり大きいと思うのです。その中で、相手の苦手な
部分を手伝ってあげて、いっぽうできちんと相手を対等な人間として尊重する
。そんな
気持ちを育むのに、とても有効なのではないかと思うのです。
(何度もいってますが、実際に私自身が障害児をもって実感したことです)


また、答えが見えない中で自分なりに自分の頭で考えていくことが大切になってくると
思われます。だから、たとえば解答が無い・教師ですら正解が分からないような問題を、
一緒になって考えていくような授業
とかが大切なんじゃないかと思う。暗記中心の教科
は、ほとんど廃止しても良いくらい。


勝ち組・負け組という点でいえば、私は「勝ち組」は実は否定するものじゃありません。
自分の立てた目標・夢を達成する=勝ち組というのは、ある意味大切な話だと思う。

問題は、「負け組」の方です。自分の立てた目標を達成できなかった=失敗ならそれを
バネに頑張れば良い。だけど、「他人」と比較して負けたという今の発想・思考はあま
り宜しくない
傾向だと思う。

それは、自分より「劣っている」人への蔑みや侮辱…ひいては人格否定まで呼ぶ。
そして自分より「優れている」人へのやっかみや嫉妬…最後は歪んだ感情につながる。

この「負け組」思考を無くすことが大切だと思うのです。

だから、「運動会のかけっこ廃止のように」この勝負そのものを否定して封じ込めて
しまうのではなく、この勝ち方・負け方についてを子どもの頃から教えてあげていく
ような、そんな教育が必要になってくるような気がしてます。


#なんか、まとまりの無いお話を長々と読んでくださって、ありがとうございました

投稿者 writers 08:49 | コメント (0) | トラックバック (0)

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