2006年02月07日 |
(by Hideki - かりん)競争させる教育 |
Global Eyes |
私が尊敬するマーケッターまつおっちさんが、本業マーケティングに関する話じゃなく
キャリアに関する話題でのブログを、知恵市場の中で立ち上げられました。
そこでも、いつものごとく分かりやすくしかも切れ味よく、まつお節が展開されてます。
先日、【競争するインド人、競争を忘れた日本人】という記事を書かれてました。
http://www.chieichiba.net/blog/2006/02/post_5.html
てなわけで、例によって自閉症とは全く関係ない…話になりそうです(^^;;
それでもいいよという方は、続きをこちらで↓
IT関連を中心に優秀な人材を輩出するインドと、日本を比較して「競争」という軸で
お話を展開されています。
> 優れた教育を受けるための激しい競争が優秀な頭脳を生み出し、
> インドの成長を促していることは間違いありません。
> 一方、日本では、競争を極力避ける教育方針が採られてきました。
> このことが、全般的な学力低下につながった可能性がありますが、
> それよりも問題な点は、社会階層が固定化してしまうことでしょう。
> 「収入格差」、あるいは「希望格差」による実質的な階級分化が
> 進んでいます。
> やはり、教育にも適度な競争原理を働かせることが
> 必要なんじゃないでしょうか。
なるほど、確かに
運動会で一等を決めることを避け、手をつないでゴールするだとか(本当かいな)
通知表には×をつけないとか(◎、○、△の3段階なんです)
通知表には生徒の悪い点・課題点を書いちゃいけないから、文章の裏を読まないといけないとか
→小学校長のお仕事 参照 http://blog.livedoor.jp/princip/archives/50319786.html
ちょっと妙なことが目立ちます。
でも。。。ちょっと待ってください。
「教育に適度な競争原理をはたらかせる」って、どういうことでしょう?
最近ひょんなことから覗くことになった、「陰山学級物語掲示板」で、
テストのランキング発表がいじめの原因となって苦しんだ方の話がありました。
クラスの先生がベスト3とワースト3をテストのたびに張り出して、
ワーストに入ってたので「バカ」といじめられ続けたとの話です
また、さらっとググっただけでも、
中学受験率は1都4県のデータですが年々受験者数も受験率も増えているようです。
http://www.singakudata.co.jp/JYOUHOU/04gaikyou/04cgaikyou.htm
競争…今でもすでにしてませんか?
とくに、ゆとり教育で学力低下した!とか、こぞって喧伝されることもあって、
むしろ、流れはそれを加速する方向にあるようにすら感じます。
でも、今の日本は、
本当に競争させることが優秀な人材を得るために必要なポイントになるのでしょうか?
古い中国の時代、科挙というものがあったそうです。
どんな身分のものでも官僚として富や権力を手にいれられるというので
熾烈な競争がそこでまきおこったといいます。
思うに、それは競争がポイントだったのではなく、
その結果えられる、富であったり、地位であったり、権力に
強烈な目的意識があったからではないでしょうか?
大きな夢があったからこそ、競争にも耐えられたのじゃないでしょうか
乱暴にいえば、実は「競争」なんてどうでもよくって、
いかにこの夢を強く高くもてるか?なんだと思うのです。
夢をはぐくむ、といったら違ったニュアンスになっちゃうかもしれませんから、
「志」を育てるといってもいいかもしれません。
もう一点、「競争」ということで気になることがあります。
それは、上にもあげた、競争にやぶれた人の話。
勝負なんだから、競争なんだから、世の中はとても厳しいのだから、仕方ない。
くやしかったら勝てばいい。負けた人間が悪い。
相手は死に物狂いだ、甘ったれた余裕みせてると足元をすくわれる。
確かに、そうだと思う。甘えた気持ちは禁物でしょう。
でも、法に触れない限りは、勝った人間は何をやっても良いのか。
勝つためには何をやっても良いのか。
昨今の「勝ち組・負け組」という発想は、そんなところから生まれてきたような気がします。
「格付け意識」が芽生え、勝ったものが負けたものを平気で貶める。
私は、そんな人材は、確かに強いかもしれないが、けっして優秀だとは思わない。
競争という点についていえば、今の教育は競争のさせかたが間違ってる気がします。
テストの点数を張り出して、ただただ順序づけするだけの学校
競争はダメだとして、100メートル走を手をつないでゴールさせる学校
私はどちらも「間違ってる」と思う
勝ち方、そして負け方を、きちんと教える学校になって欲しい。
勝ったときの気持ちの持ち様…奢らない・蔑まない・貶めない
負けたときの気持ちの持ち様…卑しまない・屈しない・嫉かない
そんな気持ちをきちんと教える教育になって欲しい、と思っています。
これは以前も主張したことですけど、
人の気持ちを思いやる心を育てる教育、
自分よりある一面(往々にして学力・容姿・能力等)で劣る・弱い・異質な人も
自分と違う部分がありながらも自分と同じ人間として認める人になる教育、
そんな「徳」を育てる教育が、いま一番学校に必要な教育だと思うのです。
それを踏まえた競争に導いて欲しい。競争のさせ方を工夫して欲しい。
競争の前に、いろんな人への思いやる心を育てながら、
自分のやりたいもの…志を、どんなものでもいいから見つけること。
そのために、教育にいま必要なのは、競争に追われて四苦八苦するよりも、
いろんなものを見て、ゆっくり考えることなんじゃないだろうかと思う。
「子どもを追い込み強制させ、それで知識・技能を身に付けさせようとする教育」
でも決して身につかないと思う
(Toshi 先生の記事 http://blog.livedoor.jp/rve83253/archives/439074.html)
ゆとり教育って、何もしないことと思われたから失敗したんじゃないかなぁ。
本当なら、そのあいた時間をつかって、
ゆっくり見たり考えたりする工夫をすべきだったのに、ちょっと残念な感じがします。
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