2006年03月27日 |
(by paco) 戦争への強い意思 |
Global Eyes |
(by paco)僕の記事「9.11テロは、やはり「真珠湾」と同様、「防がなかった」」に対して、mainstreetさんがコメントをくれているので、replyを改めて新規エントリーとしてアップしたいと思います。
> 私の場合、調査と研究というほど立派なことをやってきたわけではありませんが、
> 「その個人」のような存在は時代が生み出すものだと思っています。どんなに偉
> 大な政治家であれ歴史家であれ、時代の子に過ぎないからです。ヒトラーだって
> 今のオーストリアに生まれていれば、あんな人生を歩むことはなかったでしょう。
こういうスタイルは、歴史に対するオーソドックスな理解の方法のひとつですね。僕自身もこういう考えに立っていたこともありました。というか、9.11までは、こういう歴史認識でした。しかし、9.11後、「むき出し」になった歴史の変動を目の当たりにしてみると、この考えが間違っていた、というより、本質に踏み込んでいなかったことに次第に気がついたのです。
> だから、例えばヒトラーやビン・ラディンのようによほどの明確な意志が認めら
> れない限り、「誰それがこういう意志を持っていたから?が始まったんだ」とい
> うような仮説は避けてしまうのです。最初から犯人探しになってしまうからです。
犯人捜しが悪いかどうかはともかくとして、「原因探し」は必要です。そして、その原因は、基本的に、特定の個人に帰することができると考えた方がいい。もちろん、それが本当に特定の個人である場合と、ある種のグループである場合があり、たいていはグループに責任が帰せられると思います。
> 一人の人間であるブッシュの不明確な裏側を暴くことに一生懸命になるよりも、
> もっと表に出ている材料で「イスラムとは」「アメリカとは」といった議論を見
> る方が建設的な気がしてしまうんです。
僕がこういう考えを持つに至った理由は、戦争や大規模な破壊というのは、そのすべてが「避けようという強い意思を持てば、避けることができた」という事実がわかってきたからです。それが、人の意思としてかなりの困難が伴うとしても、戦争や破壊という手段を避けて、別の手段をとることができる。戦争が起きるのは、その手段があるのに、それに対して、多くの場合、自ら目をふさぎ、あるいは別の手段を提唱する人物を攻撃したり、排除したりして、意図的に戦争や破壊という手段を選んでいる、という事実が見て取れるのです。
もちろん、こういう「戦争や破壊という手段をとる意思」(これを「戦争への強い意思」と名付けましょう)は、通常は「ほかの手段をとるより合理性がある」、あるいは「より損害が小さい」と説明して、戦争を正当化するのですが、いったん戦争が始まってしまえば、どのような結果になるかはコントロールが非常に難しくなります。それは、相手との交渉がとぎれてしまうので、戦争の終結をプランニングすることが困難だからというのが、いちばん大きな理由です。
ほとんどの悲惨な戦争は、終結の読みを誤ったことからはじまっています。イラク戦争もそうだし、ベトナム戦争、日本から見た太平洋戦争(というより、昭和15年戦争)、第一次世界大戦も同じです。第一次大戦に至っては、戦争の初期には「この戦争は1週間で決着がつく」と考えられていたわけです。
つまり、戦争とは、あるもめ事を「武力によって決着をつける」という「戦争への強い意志」を持った者たちが、他者の反論を押しやって意図的に行うものであり、その時の戦争終結のシナリオを見誤ることで、悲惨な戦争になっていく、というのが僕の考えです。そして、終結のシナリオは、「戦争への強い意志」を持った者ほど、正しく判断することが難しいという原理があります。というのも、「他者の反論を押しやる」過程で、たいていは無理な論理が展開され、はじめは「説得のための詭弁」という自覚があっても、次第に主張に酔ってしまい、自分と戦う相手の客観的な判断ができなくなることが多いのです。
ちなみに、戦争という解決策を否定した、指導者としては、インディラ・ガンジー(非暴力による独立闘争)、J・F・ケネディ(キューバ危機)があるでしょう。どちらも、戦うという選択肢が十分ありえるシチュエーションで、あえて戦わない手段を最後まで模索した指導者でした。
「戦争終結のシナリオ」を、的確に読むことがいかに難しいかは、今のイラク戦争、ベトナム戦争、そして日本の15年戦争(太平洋戦争)を見れば、すぐにわかることです。特にイラク戦争、ベトナム戦争は、誰もが圧倒的な軍事力の差で、あっさり決着がつくと考えていました。しかし、現実はそうはならなかった。でも、今の泥沼化の予想は、開戦前からたくさん出ていたことです。
戦争は始めるよりも、終える方がはるかに難しいとよく言われますが、「戦争への強い意志」を持ってた指導者は、この言葉の意味を理解できていないという、大きな過ちを犯していると僕は考えています。そしてその過ちの結果を引き受けさせられるのは、戦争を積極的には望んでいなかった市民や徴兵された兵士です。
もちろん、「戦争への強い意志」を、多くの指導者が捨てたからといって、戦争がいっさい起きないという保証はありません。でも、これまでの戦争の、大半は防げただろうし、粘り強い外交交渉で、解決されたものも少なくありません。この方法なら、無駄な死者が出ることはないのです。
> だから、アフガンの空爆を誰かの陰謀と批判することよりも私がまず興味を持っ
> てしまうのは、
> ・なぜソ連撤退後のアフガンに誰も興味を持とうとしなかったのか?
> ・なぜそのことに対する反省があまり見られないまま空爆の批判ばかりが出る
> のか?
> ・なぜタリバンのような特殊なイスラムが出てきて他民族を迫害したのか?
> ・なぜそのような状況になっているのに、世界はほとんど興味を持たなかったの
> か?
> ・なぜ仏像が破壊されたことだけ日本人は憤ったのか?
>
> そういったことなのです。
こういったことは、確かに、戦争を防ぐためのひとつの答えになりうるかもしれません。でも「戦争への強い意志」を持った指導者が本気で行動すれば、こういったことにいかに対応していても、簡単に吹き飛んでしまうことは、今回のイラク戦争ではっきりしました。開戦の理由のほとんどはねつ造やでっち上げで、そのねつ造ぶりは開戦前から信頼の置ける人々によって指摘されていたことなのです。それでも、ウソでも繰り返し発言し続けることで(戦争プロパガンダ)、市民が「本当にそうかもしれない」と信じ始め、それが開戦を正当化していく。こんなことが起きるのは、「ウソをついてでも、騙してでも、戦争をやるのだ」という強い意志がなければ、おこらないことです。
とはいえ、僕は、イラク戦争への意思を持ったのが、ブッシュJr.本人なのか、あるいはいわゆるネオコンなのか、具体的に誰なのかという点については、それほど興味がありません。その意味で、僕も「犯人捜し」として特定の誰かを決定することが必要だと思っているわけではないのです。ただ、「戦争への強い意思」を持っているのは、「社会背景」といった漠然としたものではなく、「特定の誰か」であり、その誰かに指導されて戦争が起きているというメカニズムを理解しておくことは、とても重要だと僕は考えています。
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■コメント
この議論はおそらく鶏と卵の関係で、絶対こっちが正解という確信を持っているわけではないのですが、、、
>戦争や大規模な破壊というのは、そのすべてが「避けようという強い意思を持てば、避けることができた」という事実がわかってきたからです。
これはどうでしょう?
終結の読みを誤って云々といいますが、終結の読みを誤った悲惨な戦争だけ出しているような気がします。(「悲惨じゃない戦争って何?」って突っ込みは勘弁願います)
【戦争を避けない意志による成功】
・幕末の武士・浪人による狂信的な攘夷運動は諸外国の侮りを排除するのに役に立ったのでは?欧米列強で日本を訪れた人たちのシナと日本の武士階級との印象の違いは記録に残っているらしいし、だからこそ上海のような半植民地を作らずに済んだと私は思っています。
・日露戦争をやらない方が良かったという説得力ある意見は見たことがありません。
・先にも書きましたが、アフガンの内戦を放置したことが9・11の原因になったということはよく言われます。空爆でタリバン排除でもやっていれば、9・11も起こらずアフガンの内戦は数年早く終わったはずです。バーミヤン封鎖などいくらでも口実はありました。実際一度ミサイルでは攻撃しているわけですが、基本的には米国が自分の国益に関係ないと考えて放置したことがまずかったのでは?
アフガンに関しては、アーマッド・シャー・マスードが「パキスタンの介入を止めさせて欲しい。そうすればアフガン国内は我々が決着をつける。タリバンは放置すれば必ずテロを起こす」と欧州に行った際に警告していましたが、国際世論はそれを無視しました。EU議長はマスードの意見を無視したことに関し、9・11直後に反省しています。
・ケネディはキューバ危機を非戦の意思で乗り切ったのではありません。海上封鎖などの強硬手段を用いてミサイル運搬船のキューバ到着を阻止し運搬船のソ連への反転を迫る、という方針を提示し、全世界向けテレビ放送でキューバ情勢と米政府の強硬方針を公表、フルシチョフ・ソ連首相との全面対決に入ったことでソ連が引いたのです。もしここでソ連がミサイル基地建設を成功させていれば、後にソ連の弱体化が明白となったときにどのような惨劇がおこったかわかったものではありません。
・同様にインドの独立をガンジーの非暴力不服従運動だけに帰するのは一方的な見方です。日本軍に協力したインド国民軍の兵士一万数千を軍法会議にかけようとしたイギリスに対し、インド軍全体で反英感情が高まったということも重要な要因です。というか、そのような軍事的背景なしにインドの独立が成立したとは思えません。
【戦争を避けようとした失敗】
・第一次世界大戦で欧州に陸兵を送らなかったのは日本外交の失敗であり、後の対米英との決裂の遠因となっているという説は根強いです。
・チベットはろくな軍備を持っておらず、そのためにあっさり人民解放軍の侵攻を許しました。現在チベットの民衆は苦しんでいるということが伝えられています。
・ナチス政権下のドイツに対する宥和政策が第二次世界大戦の引き金になったという話もよくあります。
戦争に駆り出される個々人にとってはたまったものではないですが、時に戦いへの強い意思が平和や繁栄を生むことはありえます。だからこそ戦いで未来を切り開くという政策が一定の説得力を生み、大衆の支持を得ることがたびたびあるのではないでしょうか。
>開戦の理由のほとんどはねつ造やでっち上げで、
本来、開戦はもっと早く行われていても不思議はなかったという指摘もあります。
イラクは散々国連の決議を無視していたのですから。クルド人迫害、飛行禁止区域への侵入、大量破壊兵器査察への対応などです。捏造やでっち上げは、アメリカが国内世論を動かすために強調しすぎたというだけです。
現在予想外に混乱しているとはいえ、数十年単位で見ればフセイン一家の体制を崩壊させたことは決して悪いことではなかったという結果だって充分ありえます。というか、そうなると私は思っています。
>ただ、「戦争への強い意思」を持っているのは、「社会背景」といった漠然としたものではなく、「特定の誰か」であり、その誰かに指導されて戦争が起きているというメカニズムを理解しておくことは、とても重要だと僕は考えています。
個別に悲惨な戦争を防ぐためにはこういう見方はたしかに必要ですね。「誰が開戦論者・強硬論者なのか?」というチェックは常に必要でしょう。
しかし民衆がそういう指導者をむやみに担がないためには、「『社会背景』といった漠然としたもの」を問題にしていくのが不可欠ではないかとも思います。
民族・国家単位で見れば、開戦論・強硬論が常に間違っているわけではないとも思ってますが。
投稿者: mainstreet | 2006年3月29日 22:07
コメント、遅くなりました。ときならぬ風邪を引いて、その後、気管支炎モードに入ってしまい、集中力を失ってまして(^^;)。
>民衆がそういう指導者をむやみに担がないため
>には、「『社会背景』といった漠然としたもの」
>を問題にしていくのが不可欠
という考え方を、僕自身もしていたんですよ、以前は。これは、たぶん、司馬遼太郎が強く持っていた歴史観で、僕もそれに強く影響されたのですが、今はそれは違うと思っています。特に、近代国家では、こういう発想は「戦争をやりたい人たち」に利用されるだけです。
司馬遼太郎は、時代の寵児としてのヒロイックな人物と、それを支援する民心(時代の雰囲気)というふたつのエネルギーを想定し、そのふたつが共鳴すると時代が動く(彼は回天と呼んだ)という考えを強く打ち出していましたが、現代では、時代の雰囲気を「戦争をやりたい側」がかなり意図的に、というか自在にコントロール可能なしくみが生まれました。
戦争をやりたい権力者は、マスメディアを絶対に離しません。人々の気持ちを戦争に向かわせる技術はどんどん進歩していき、合理性がある/ないにかかわらず、いかなる戦争にもyesといわせるところまできているといえます。このあたりがはっきりとむき出しになったのが9.11以後の米国の動きで、これにあたるものは特に20世紀以後ではどの近代国家の戦争でも見て取れます。
社会背景は確かに戦争の判断に影響を与えます。しかし社会背景がどうであっても、戦争という決断を「しないことがどんな場合でも可能」だということを、見落としてはならない。
ここで大事なことは、「戦争をした方が、しないより、よい」という判断が可能かどうかということを、僕は考えていないということです。しなくても、問題は解決可能だった、と言うことをいいたいだけで、代案として戦争を選んだ場合と比べて、しない方がよりよかったかどうかという比較をするつもりはありません。
という僕のイシューからすると、mainsteetさんが指摘しているような、日清戦争、日露戦争についても、しないことはできたし、戦争をしなかったときに、日本が植民地になっていたと決めつける理由はないと僕は考えています。
日露戦争については、結果的に日本海海戦が成功したから今の評価になっていましたが、バルチック艦隊を逃していた可能性は非常に高かったといえるでしょう。もしバルチック艦隊の主力をウラジオストックに逃していたら、大陸でロシア陸軍と対峙していた日本陸軍は、おそらく惨敗していたのでしょう。すでにあの時点で、日本陸軍は完全に消耗していたのです。
僕が考えていることは、ある戦争がするべきだったか、しない方がよかったかということではありません。すべての(近代以降の)戦争は、しないですます選択肢がいつもあったということ、そしてそれにもかかわらず、戦争が起きるのは、反対があっても、金がかかっても、人がたくさん死んでも、戦争をやるべきだという強い意志を持った人たちがいる、ということを指摘したいだけなのです。そのことに、僕たちははっきり気がつく必要がある、ということです。
投稿者: paco@知恵市場主宰 | 2006年4月 9日 15:19