2006年03月16日

(by Hideki - かりん) 君が教えてくれたもの

Life Design

以前もご紹介しましたが、toshiさんのブログ:【教育の窓・ある退職校長の想い】で、
「本の紹介」という記事があげられました。

本というのは、toshiさんの先輩の方が、重度重複障害児の通う養護学校の校長に着任さ
れたときに感じられた、そのときの教育について、また障害児の保護者の思いなどにつ
いて、まとめられたものです

本のタイトルは、
命育む学校 子どもに惚れる Part2 島本恭介/著

さっそく取り寄せてみることにしました。
その感想については、また後日にでもアップできればと思っています。

で、この本についての「保護者の思い」についてのtoshiさんの記事について感じた事です
http://blog.livedoor.jp/rve83253/archives/527661.html

詳しくは是非toshi さんの記事を是非ご覧になっていただければと思いますが、私なり
にポイントをかいつまんでみますと…

重度重複障害の子をもつ保護者が、何とか治療法がないかと探しまわっている中で、と
ある名医と呼び声の高い医者との出会ったときのこと。その医者は、治療とか診察とか
をするわけでもなく、親(祖母)に向かって「おばあさんは幸せだね」と言ってきたと
いうんです。

何が幸せなもんか!と反感をいだいた祖母に対し、「こんな澄んだまなざしをもった、
こんな可愛いお孫さんを授かって幸せだよ」と続ける。「障害」を治すという点だけに
囚われていた祖母は、まずは「その子のあるがまま」をみつめ、素晴しさを見出し、認
めることの大切さに気づかされた

という話でした。


驚きました。この話、まさしく私たちが辿った道と同じなんです。
【羅針盤と止まり木】
http://calin.blog22.fc2.com/blog-entry-9.html

過去にも折りにふれ書いてきた事なんですが、私もカリンも本当にマリオから、多くの
ものを教わりました。子どもに教わる…実際の育児を通じて、初めてわかることは少な
くありません。

だけど、特に「障害児」を授かることで、一緒につきあうことで、教えられることって、
実にたくさんあるように思うのです。


■当たり前を疑うこと

まずは、常識・当たり前と思っていることを、改めて見つめ直させられました。これは、
今までも何度もとりあげた「普通への呪縛」ということへの気づきです。

【葛藤】
http://calin.blog22.fc2.com/blog-entry-37.html

(少なくとも)普通の子と同じにならなければ、(最低限)これだけはできなければ、
子どもより早く社会で得た私たちの経験の中から導かれる、これらの事柄は、処世術・
処方箋ともいえるので、決して全ては否定できないものだとは思っています。

ただし、一方で私たちの経験がすべてにおいて正解だとは限らないですよね。しかも、
人間というのは忘れやすい生き物で、「なぜ?」という原因や背景は忘れてしまい、
「だから、こうすべき」という結果だけが残ることが結構多かったりする。

これが、一番やっかいな「思考停止」状態につながるのだと思うんです。

理屈じゃなく、感情で判断してしまう。または自分の不確か(覚えていない)経験に基
づく、「ポリシー・主義」としてだけで処理してしまう。あるいは「何がいいかは分か
らない。だから、他の皆がそうするから…それに追随したほうが安心だ」
という一時的
な危険回避の感情に流されてしまう。

でも、本当は、そこにある「なぜ?」をよく見つめ直さなきゃいけない
「本当なの?」を、折りにふれ、考えて見なければいけないのです

このことに一番最初に気づかせてくれたのは、上にも挙げたマリアンナの言葉の治療室
のT先生でした。

================= 過去記事【羅針盤と止まり木】より抜粋 =======================

話題が躾ということに及んだときの話です。

T先生:「あまり躾とか意識しないほうが良いと思いますよ?」

私:「だけど、今、躾けておかないと後々大変な事になるんじゃないですか?」

すると、T先生は、ふっと厳しい顔をして、毅然とした感じでこう応えたんです

T先生:「そのあたりはその人それぞれの考え方があるとは思います。だけどこういう
お子さんには、余り躾ということを考えない方がいいと私は思いますよ」

私:「でも大人になったら。。。どうなんでしょう…余り甘やかすのは…」

T先生:「最終的には親御さんでお決めになれば良いと思いますが、私の存じ上げてる
お子さんで、20歳近くになってもトイレが独りでできない方がいらっしゃいます。でも、
その子はとっても良い子なんです。親御さんととっても仲がよくって、いつも明るい子
なんです。 私はそれで良いと思っています」

「今焦って他の子と同じようにしようと思わない方が良いですよ。こういう子は歩みは
遅いけど着実に成長していきます。それを焦って躾けようとすると、かえって逆効果。
焦らなくっても良いんです」

「この子が20歳になった時で勝負して下さい。どうかその時に、他の子(他のやり方
をした、厳しく躾けた自閉症児)と比べて見て下さい。」

================================================================================

同じような、常識…世間並みという言葉に隠れた、当たり前はいっぱいあります。

   なぜ学校に行かなければいけないのか?
   本当にすべてにそれが優先するのか?

   なぜ今そんな訓練をしなければいけないのか?
   本当にそれがすべてに優先して身につけるべきものなのか?

   なぜ結婚しなければいけないのか?
   本当にそれがマリオにとって幸せなのか?

勿論、不要なものは何一つ無いと思う。だけど、何にもまして絶対重要であると言える
ものなのかどうか?
   …もっと大切なことがあるのではないか?

■障害者=劣った人という偏見

怒られるのを覚悟の上で、正直にいえば、そんな思いが私の中にありました。
 …いや、ひょっとしたら私の中のどこかに、今もまだ潜んでいるかもしれない。

自閉症児…障害者は、健常児に比べて、能力的に劣っている一面があるのは事実。
(いや、優劣という言葉で語った時点で間違ってるかもしれないですね)
能力的に、「異なっている」ことがある。当たり前にできることができない。

だからかわいそう。だから何とか保護しなければいけない。…となる

これらの憐れみの心は、「人として劣っている」という思いに根付いている事も多いと
思うのです。人として劣るから、少しでも「人並み」にしなくちゃ、という発想にも結
びつきやすい。

違うんですよね。

確かに、「できない」ことはある。苦手なことも多い。それは配慮してあげなきゃいけ
ない。自閉症・障害者が生きていくには、まだまだ難しい面が多い日本では、私たちが
体を張る面も多いと思う。一方、他人にかける迷惑という点では、「個性」という一言
では済まされない場合もあると思う。


でも、自閉症・障害者が、人として劣っているわけじゃ、決してない。
むしろ、普通の人・健常児が持っていないものを、たくさん持っていたりする。

それを、きちんと見つめてあげる、認めてあげる、それがまずは大切なんだと思う。

正直、私は、障害児ということで、後ろめたい…世間から隠したい、そんな思いを多少
なりとも抱いたときがあったのも紛れも無い事実です。でも、今は全くそんな気持ちは
ありません。近所にも親戚にも、自閉症という障害を、胸を張って(?)というと語弊
がありますが、堂々と説明しています。

■優しい気持ちになれる、焦りが消える、…大事なものを思いだす

健常児との比較に焦りが消え、できないことを嘆いたり気にかけることが無くなると、
自然と「できること」への喜びへの気持ちが増えていきます。どんな些細な事でも良い。
前できなかったのに、できるようになるということのすごさが、嬉しく感じられます。

…いや、マリオの場合は、幸いにも「できること」が目に見えて増えたから、こんな事
を言っているのかもしれません。マリオよりも、もっと重い障害をかかえたお子さんも
いらっしゃるわけで、そんなお子さんの親御さんからは、何を甘いことを!と叱られるか
もしれません。

でも、仮にできることが増えていかなくても、ひょっとしたら「生きていること」その
ものが嬉しく素晴しく思えるのかもとも思うのです。それまで「当たり前」と思ってた
ことが、視点を変えれば、実はとても貴重で神々しいもの
だと感じるのではと思う。

不思議なもので、喜び・嬉しさは、気持ちのやすらぎを生み、優しい気持ちになって、
何よりもわが子の可愛さが、殊更に、素直に実感できるようになりました。

忘れていた大事なものを、思い出す…そんな感じです。

一番大事なことは、
無事に、マリオ自身が幸せだと感じながら、明るく、生きていくこと
死んじゃったら何にもなりません。
見た目は普通でも、心が死んだような状態なら意味ないんです。

■君が教えてくれたもの

よくサイトや本などでは、親の最初の重要なステップとして「障害の許容」という言葉
がとりあげられています。ただ、私にはこの「許容?拒絶」という感覚がどうも馴染め
ないのです。ちょっと違う気がする。発見、目から鱗が落ちる、そんな気持ちに近い。
今までと違った自分になれる、今まで見つけられなかった・気がつかなかったものに、
気がつく
。そんな感じです。

聞くところによると、わが子に自閉症児を授かって良かったという人もいるようです。

私は、本人が生きていく上ではまだまだ「障害」となることが多いであろう今の日本を
みると、さすがに「良かった」とまではまだ思えないのが本音です。

でも、その気持ちは分かる気がします。


「どうして…?」一番最初、マリオに障害がわかったとき、そんな思いを抱きました。
「人よりも劣っている」という思いに囚われたままなら、将来に悲嘆するばかりなら、
その思いは今も持っていたかもしれません。

でも、今はマリオが面白く、可愛く、楽しみに思えています。
それだけでなく、色々なものを教えてくれて、これはキレイ事でも誇張でもなく、
まじめにマリオに感謝しています。

マリオが生まれてきてくれて、本当に良かった。
心から、そう言えます。

もちろん、この先、ひょっとしたらつらいことが待ち受けてるかもしれない。
でも、いまのこの気持ちはずっと忘れないようにしたい。
特に人間は大事なことを忘れやすい生き物なんだから、尚のこと意識し続けていきたい。

そう思うのです。

投稿者 writers 09:25 | コメント (4) | トラックバック (0)

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コメント

Hidekiさんの、マリオ君に対する思いが
本当によく伝わってきました。

今の私は、Hidekiさんと同じような立場にはないので
本当の意味で共感できているわけではないとは思いますが。

たまたま、最近読んでいた「<心>はからだの外にある」(河野哲也著、NHKブックス)には、「障害=個性論」について考える章があり、Hidekiさんの書かれた内容と照らし合わせて考えていました。

現在、私たちが何気なく使っている人の「能力」、あるいは「個性」というものは、その言葉の裏に、社会に対する「有用性」の概念があるということ、

そのことが、有用性の概念から外れる人(障害を持った人など)や行為(不登校など)が問題として浮上してくることを河野氏は鋭く指摘しています。

私にとって目からうろこだったのが、

「個性」という概念において

「個であること」(人格としての個性)

「個性的であること」(独自性としての個性)

が混同されがちだという点でした。

ここで言う「個性的であること」に社会的有用性の意味が含まれているというわけです。

また、河野氏の考える「個人主義」の定義にも深く考えさせられました。

“自己という個人が、社会にとって目的であり価値であるのであって、その逆ではないことを訴えているのである。”

“私たちが「自分はかけがえのない存在だ」と言うときには、他の人と比較して自分が特別な存在であるなどという傲慢な主張をしているのではなく、自分を取り囲む社会なり組織なりが自分を(道具や手段としてではなく)目的や価値として扱って欲しいという切望しているのである。”

Hidekiさん、かりんさんにとって、マリオ君は、まさに目的であり、価値なのでしょうね。

まつおっちさん、コメントありがとうございます。

ご紹介いただいた「個性」のお話、いろいろと考えさせられますね。

確かに、個性的であることと個であることって、違いますね。特に個性的といった場合の価値基準に(判定者にとっての)有用性が紛れ込んでいるという指摘、そのとおりに思います。

普通の人には、無用な無駄な取るに足らないもの…個性的という判断の中では、これらは淘汰されてしまうかもしれません

おそらく、マリオよりもずっと多くの社会的価値を生み出し、社会的に有用な、そんな人はいっぱい存在するでしょう

でも、私らにとっては、マリオの代りなんてのはいない。
マリオは大事な大切な存在なんです。
存在するだけで価値がある。そこにはあえて理由なんてない。
あえて言うなら、「マリオだから」

一番教えられたのは、
この「人が存在することの重要さ」なのかもしれませんね

うちのもえぞーは2歳1ヶ月なんだけど、この間、精神発達の診断では9ヶ月程度、と言われました。確かに行動を見ていると、同じ月齢の他の子とはまだ違う次元にいる(^_^)。この程度でも、比較しないとか、「普通は...」とか考えないのは、子育てで本当に重要だよなあと思います。

僕は、「赤ん坊はかわいいけど、早くおしゃべりとかしてくれた方がおもしろいよな」と思っていたんですが、ぷにぷにしたほっぺたをこすりつけてくるもえぞーとの時間を、十分に感じることに考えを変えました。

Hidekiさん、かりんさん、マリオくん、それぞれいろいろ大変なことはあるでしょうけど、一瞬一瞬、価値のある瞬間を過ごして行けるといいですね。

Toshiさん、コメントありがとうございます。

> 2歳1ヶ月なんだけど、この間、精神発達の診断では9ヶ月程度

こういう言い方されると、多くの人はいかにも「遅れている」「問題だ」みたいな意識になっちゃうと思うんです。

実際に3歳児検診のときの診断をうけたとき、私らはやはりショックをうけました。先行きの不安と自分達のやってきたことへの疑念と。

遅れている・劣っている、という言葉じゃなく、異なっている、変わっているという言葉で語られると、全然違うんですけどね。

> ぷにぷにしたほっぺたをこすりつけてくるもえぞーとの時間を、十分に感じることに考えを変えました

こんなように、自分の考え・思い…価値を変えられるToshiさんって、やっぱりすごいですね。

> 一瞬一瞬、価値のある瞬間を過ごして行けるといいですね。

はい、そう思います。

まだまだ自閉症への誤解も少なくないわが国では、わが子の先に不安がないといえばウソになります。

でも、あまり先の不安に踊らされてもいけない、と自分達を戒めて、今のマリオ自身を大事にしていこうと思っています。

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