2007年01月06日

(by まつおっち)軽自動車な娘

Life Design

(by まつおっち)

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。


今回は、「狼な娘」の続編です。(^o^)

小6の2学期から不登校となり、小学校の卒業式も、
自宅の目の前にある中学校の入学式にも出席しなかった長女。

でも、手続き上は中学に入学したことにはなっていて、
形だけの中学1年生だったのですが、
昨年後半、つまり2学期から、ぼちぼち登校するようになっています。

といっても、本来所属しているクラスではなく、不登校児のための教室に行き、
本を読んだり好きなことをしているだけです。

学校にいる時間も数時間程度で、さっさと帰ってきます。


それでも、いちおう出席扱いにはなりますし、期末テストも形だけ受けたようです。

ただ当然のことながら、通信簿にはずらりと「1」が並んでいて、
親としては「なんだかなあ・・・」という気分です。


さて、昨年、娘は数ヶ月間、地元の児童相談所に妻と一緒に
行っていました。

臨床心理士の先生と会い、知能テストや心理テストなどを受検したのです。

こうしたテスト結果の詳細についてお話しすることは控えさせていただきますが、
臨床心理士の先生によると、長女は、

「軽自動車」

なのだそうです。


これは、普通の車よりも馬力が弱く、同じペースで走れないという意味です。

具体的には、学校のような集団生活、集団一律の学習スタイルに
順応できる能力が十分ではないというということらしいです。

「狼な娘」で書いたように、端的には「協調性が低い」とかそういったことでしょう。


一方で、娘は

「スポーツカー」

なところもあるそうです。

これは、別な能力では突出したパワーを持っているということです。
それは、「言語感覚」のようですが。

臨床心理士の先生は、長女のようなケースは非常に少数派で、
1000人に10人もいないとのこと。

要するに、できること、できないことの差が激しいタイプの個性や資質を
持っているということのようです。

だとすると、学校を拒否するのもやむをえないことかも知れません。


もちろん、親としては、娘の将来が心配です。

でも、長女のようなタイプは

「ほっといても自分でなんとかしてしまうから大丈夫ですよ」

と先生に言われたそうです。


おそらく、「中卒」で世の中に出てしまいそうな長女ですが、
特定の分野で何か大きなことをやってくれるんじゃないかと期待しています。

私はそのための最大限のサポートをしようと思います。

私としては、娘が「充実した幸せな人生」を送ってくれさえすれば十分です。
学歴や他人の目は一切気になりません。

(by まつおっち)


投稿者 writers 08:38 | コメント (3) | トラックバック (0)

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コメント

言語能力がすぐれているというのは素晴らしいことですよね。人とのつながりは、やはりコミュニケーションに追うところが多いでしょうし。

お父さんがこうやって公の場で「応援する」と表明してくれるのは、娘さんにとっても心強いことだと思います。(娘さんがご覧になっているかどうかにかかわらず…)ちょっと感動です。

どんな才能を開花させるか今から楽しみですね。

小2の頃に家出を敢行するほど独立独歩の娘を授かったからこそ思うのですが、自分の子供を自分の人生の一部として扱ってはいけないんですよね。

子供には子供自身の人生を生きる権利、選ぶ権利がある。

「こうなって欲しい」「こうして欲しい」という親の願いや価値観を伝えることは大切ですが、押し付けてはいけない。

子供と大人の違いは、知識や経験の差だけ。どちらも別の人格を持つ立派な人間。親だからといって、子供を自由に扱えるわけではないはずです。

ただ、単に子供の好き勝手にやらせる「放任主義」にならない注意は必要ですけどね。

先日の歯科医一家の悲劇は、子供を親の人生の一部として扱ってしまったことが背景にあるんじゃないでしょうか。

できることとできないことの差が激しい
 …他人事に思えなくて、思わずでてきました

同じ子どもを持つ、親として、私らがいつも常に念頭におき、自分自身に言い続けているのが、できないことを気にするのではなく、できることを褒めてあげようということなんです。

もちろん、自閉症児のできないことを数えたらキリがないからというのもありますし、そんなうちのマリオとはまるで状況が異なるから、同じにはけしてできないですけど。

実はマリオが中学のときは特殊クラスにいたわけですが、そこは「通級クラス」も兼ねていて、通常のクラスにいることがしんどい子も顔を出していました。でも、その子も、通級クラスではとても明るく、私ら他人にも積極的に話しかけてくる、いたって元気な中学生でした。

それは、心休まる居場所を求めるという、根源的な話で、それを心が弱いとか甘いとかという次元で話すとけっして良くないのではと思っています。

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