2008年05月25日 |
(by yuki) 物乞い?乞食?ホームレス? |
Global Eyes |
(by yuki) 途上国や貧しい地域では物乞いを見かける機会が多いと思います。中国は途上国ではありませんが、この国で数えきれないほどの物乞いを見ました。そもそも「物乞い」という言葉が正しいのかどうかも分かりません。でも、日本で見かけたホームレスとはやっぱり何かが違う。
物乞いを見かけることが日常になると、(私が勝手にそう呼んでいる)「職業物乞い」や「ニセ物乞い」と本物の「物乞い」の区別も、何となくつくようになってきました。
例えば先日、出張で行った上海で見かけた物乞いは10分の間に5人です。中国の最大都市・上海で、です。
【一人目】地下歩道の階段に座り込んでいるおじいちゃん。
目の前に置いた空き缶を見つめたようにじっとしたまま、声を発するわけでもなく、ただただその場にいて、体力を使わないようにしているように見える。そういえば、このおじいちゃんは昨日も同じ場所にいた。
【二人目】交差点の信号の下に座り込んだおじさん。
正座をしているのかと思ったけど、よく見たら両足がない。だから長ズボンをはいて地面の上にいるのが正座で座り込んでいるように見える。使い捨てのプラスチックの器の底を地面に何度も打ちつけ、多分「お金をくれ」と叫んでいる。
【三人目】両側に飲食店やファッションブランドが並ぶ歩行者天国の道で、行きかう人に空き缶を突き出し歩き回っているおばあちゃん。
たまに誰かが一元コイン(日本円で15円ほど)を入れている。しばらく観察してみると、ある程度お金が入ったら、空き缶に2,3枚だけコインを残して残りはポケットにしまっている。
【四人目】ヴィトンやエルメスなどの高級ブランドが入るビルの前で、地面に敷いたゴザの上に横になり、寝ているおじいちゃん。
驚くほどやつれた足で、左足のくるぶしから下だけが2倍くらいに腫れあがっている。よく見たら足の裏が白くなっていて、カビが生えたように見える。炎症を起こしたか腐っちゃったのかな。
【五人目】
3歳くらいの子供を抱きかかえ、地面に座り込んでいる女性。
傍らにはもう一人、5歳くらいの子供が寝ころんでいる。本物の親子じゃなく、レンタルしてきた子供かもしれない。
そもそも「物乞い」の定義って何でしょうか?
「乞食」も意味合いは似ている気がするけど、日本の日本人の生活で、そのどちらの言葉も使わないですよね。一番近い意味でも「ホームレス」とか??でも私が知る限り中国語に「ホームレス」という言葉はないし、日本やアメリカで見かけたホームレスは肢体を切断したりしない。
かつて日本が貧しかった頃は、日本にも物乞いはいたのかな?
いたとしても、中国で見かけたように手足を切断したりしていたのかな?
「物乞い」という言葉を使うのをやめて「ホームレス」という言葉に置き換えただけかな?
中国で貧困層と言われる人は、年間収入が日本円で約1万円以下の人たち。8,500万人いると言われています。ですが、本当に貧しい人と貧しいと装っている人がいることも事実なわけで…。
もちろん本当に売り飛ばされて物乞いにさせられる子供も、自分の人生を選択する余地がなかった人もたくさんいる。でも、まともに働くよりも「物乞い」として生きる道を選択する人がいるのも事実です。
問題なのは、「貧しい生活をしている人がいること」ではなく、「自立する気がなく依存して生きる道を選ぶ人がいること」なんでしょうね。
じゃあ彼らがそんな選択をするのはなぜだろう?
6年前、はじめてこの国で物乞いを見かけた時から考えていますが、明確な答えは今でも見つかりません。
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■コメント
「物乞い」と「ホームレス」の違いは、「カネやものをめぐんでくれ」と主張しているか、していないか、というのはあるでしょうね。
ホームレスはめぐんでくれとさけんではいないし、空き缶も置かない。なぜ? それはおそらく、日本や米国のような国の中では、「自立できずに生活苦に陥ることは、本人の能力のなさだ」という共通理解があるからでしょう。教育の機会、健康を取り戻す機会などがありながら、自立できないのは、無能だという共通認識があり、物乞いをすることは、日本や米国では自ら無能をさけんでいるようなもの、という理解されるのでしょう。
ホームレスになっても、人としての最低限のプライドは失いたくない、と考える人は多いようです。
逆に中国や途上国では、機会が不十分なので、自分が自立できないのは自分の能力のせいではない、という共通理解があるからなのではないでしょうか。自分だけが悪いわけではないから、社会から恵んでもらうこともやむを得ない。いや、金持ちは恵んで当然だ、という理解。
そういう意味では、物乞いになれず、ホームレスにしか慣れない日本のような社会は、逆に厳しい社会なのかもしれません。日本のネットカフェ難民の実態本などを読むと、そう思います。
投稿者: paco@知恵市場 | 2008年5月26日 01:05
確かに日本のホームレスは「恵んでくれ」という主張はしませんね。
アメリカにいた頃見かけたホームレスは、お金や食べ物を乞うメッセージを書いたダンボールを掲げていました。とすると、彼らは「物乞い」ということになるのかもしれません。アメリカ人の友人が言うには「アル中や薬中が多いのでお金を渡したら薬や酒を買うだけだ。あげるのであればお金よりも食べ物を。」とのこと。
そういえば北京にいる友人の話では、オリンピックを前に北京の物乞いが一斉に姿を消した(公安などに排除さえた)そうです。中国の街中に溢れる物乞いがメディアに映ることはないので、私はそういう現実こそ世界中の人に見てほしかったのですが…。
投稿者: yuki | 2008年5月26日 03:04
アメリカでは、キリスト教の伝統に則って「施しは金持ちの勤め」という考えが基本にあるので、まだ物乞いしやすいのかも。
日本では困っている人に対する倫理が完全に崩壊したので、「情けは人のためならず」が本来の意味から乖離して「人のためにならない」という理解が一般化してしまいました(ほんとうは、情けをかけることは相手のためではなく、巡り巡って自分に戻ってくるという意味)。
たしかにそういう側面はあるにせよ、「人のためにならない」が、余裕があっても助けない、ということの「いいわけ」に使われているのは間違いない事実で、これが余計に弱者を「生きづらく」しているのだと思います。
途上国で堂々と物乞いができる場面に出くわすと、ある種、健全さを感じることもありますね。もちろん、物乞いする必要がない社会がいいのはいうまでもありませんが、助けが必要なのに声を上げられない日本の方が悲しいです。
投稿者: paco@知恵市場 | 2008年6月 1日 12:09