2009年10月29日

(by 環の花) 1周年記念

Environmental Eyes

(by 環の花)

妻です。

今月末で、都会から農村へ移り住んで1年、結婚して1年、有機農業を始めて1年、鶏と暮らして1年、全てが1年経ちました。

振り返ると、とても充実した1年でした。

自然と共に季節の移り変わりを感じ、色々な生き物達と一緒に暮らし、作物の成長を見て、ご近所のおばあさんと笑い合い、そんな毎日が新鮮で、とても楽しい日々でした。

また、毎日夫とずっと一緒なので、時には激しく喧嘩もしましたが、仲良く楽しく暮らせました。

そして毎日の食卓では、自分達で育てた野菜や鶏の卵を頂き、今までに感じた事のない美味しさや感謝の気持ちが湧いてきて、不思議でした。

私は結婚することになったから有機農業を始めたパターンですが、最近、この農的暮らしは現代社会にとっての答えの中の一つような気がしています。

今年、世界の飢餓人口は10億人を突破し(FAO発表)、先進国の搾取によって途上国の貧困は深刻さを増し、過剰な消費によって成長し続けなければならない経済は行き詰まり、日本でも格差は広がり、迫り来る食料や水の危機、軍需産業の拡大、核や原発の問題、日本の農林漁業の高齢化、家畜動物の虐待、環境破壊、地球温暖化、うつや自殺の増加、アレルギーや生活習慣病の増加、医療費の増加、もう挙げたらキリがないですが、とにかく無関心ではいられない事ばかりです。

この近辺だけでも若い世代の人達が都会から農村へ移り住み、お金では得ることの出来ない幸せを感じながら農的暮らしをしています。
うちにもこの1年の間に「有機農業(農的暮らし)をしたい!」と夢を持ち、見学に来てくれた人が何人もいました。
その人達には是非やってもらいたいし、微力ながら応援したいと思っています。

今の暮らしに疑問や不安を感じている方に是非、小利大安(少しの利益でも大きな安心)の「農的暮らし」を選択肢の中に入れて欲しいと思う今日この頃です。

あと追加です。

環の花ホームページの「やすリンク」を「やすけんリンク」に変更しました。そして農業仲間のリンクを追加しました。みんなやり甲斐を感じながら楽しそうに頑張っています。今後やってみたい方は是非参考になさって下さい。
あと、以前「家畜福祉」について調べている時に、北海道で乳牛専門の獣医さんをしている方のブログを見つけました。色々な分野に精通されている方で、とても勉強になるので、リンクに追加しました。良かったら見てみて下さい。

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2009年10月28日

(by paco)【pacoの目×ecoの芽】012クルマはワルモノか?

Environmental Eyes

(by paco)クルマはCO2をたくさん出す乗り物です。製造までに大量の資源を使い、走らせるとさらにCO2が出る。一般家庭では、マイカーを持っているのとそうでないのとを比べると、CO2排出が1.5?2倍になるのが一般的で、マイカーは確かに環境の敵です。

業務用でも同じことが言えます。トラック輸送より鉄道輸送、船舶輸送のほうが圧倒的にCO2排出は少なく、やり方にもよりますが10分の1程度に下がります。

やはりクルマはダメなのでしょうか?

ダメと言えばその通りなのですが、ここで重要なことは、クルマをつかない生活が実際に可能か、という点を十分考えることが必要です。大都市に住む人、クルマを持たないでも生活できている人は、安易に「クルマは規制すべき」というのですが、地方都市や農村に住む人にとっては、荒唐無稽な話にしかきこえません。マイカーを持たなければ、仕事も買い物も近所づきあいも、まったく不可能な地域が日本にはたくさんあり、というより、一部の大都市の中心部を除けば、ほとんどがそういう地域だと言ってもいいぐらいです。


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2009年10月15日

( by JIN ) プロフェッショナル考

Global Eyes

( by JIN )
「プロフェッショナル」には、様々な定義がありますが、今回のブログでは、次のように定義して「プロフェッショナル」について考えてみたいと思います。

プロフェッショナル=最高レベルの技術水準を維持・向上を図るために妥協しない人

今回この定義を用いるのは、私自身がどうしても妥協する傾向があるため(笑)、日頃みずからを戒めるための「よすが」にしたいというのが1点です。もう1点は、この観点からプロフェッショナルをとらえたときに思い浮かぶことについて読者の皆さんと会話してみたいということがあります。

今回のブログでは、最近私が上記定義の意味での「プロフェッショナル」概念に出会った場面を3つ紹介します。

・・・本当は、「プロフェッショナル」になるべく鍛えるにはどうするか?についても考えてみたかったのですが、少し分量が多くなりそうなので、それは別の機会に譲ります。

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2009年10月14日

(by paco)【pacoの目×ecoの芽】011お金が無くても豊かな生活

Environmental Eyes

(by paco)知恵市場で書いてくれている環の花さん。今日も水曜日なので、宅急便で毎週の野菜と卵が届きました。おいしそうなジャガイモだったので、さっそく煮っ転がしにして食べちゃいました。美味なり、美味なり。

その環の花さんご夫妻、ちょうどこの秋で就農1周年ということで、こんな要旨のメッセージを送ってくれました。

「最近、出かけるときにも財布を忘れて出てしまうことがある。ふだんお金を使わないので、お金を持ち歩く習慣がこの1年でなくなった。東京にいたときは、何をするにもお金。一歩出れば電車バスに乗るのにお金、コンビニでお金。だからこそ、お金を稼ぐことに必死になるけれど、今の生活はお金の価値の比重がすごく低い」

リアリティがあって、なるほどなあと思わせるメッセージです。すばらしい。

自分たちがもともとこういう生活を望んで東京の会社勤めをやめ、農的な生活、自給自足的に作物と卵を作り、余った物を売ってなにがしかのお金を得る生活を始めた環の花さん夫妻。それをたった1年で現実のものにした努力もすごいけれど、そういう生活が今の時代の中でもちゃんと成立することを見せているということも、社会的な価値として大きいと思います。

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(by paco)根回し政治の終焉

(by paco)前原国土交通大臣が「羽田空港を国際線かしてハブ空港に」と発言したのを受けて、千葉県の森田知事や地元自治体から怒りの声が上がっています。その前は八ツ場ダム中止の時に地元自治体から怒りが爆発し、一昨日の「広島・長崎にオリンピック招致を」発言では、地元も県も知らなかった発言ということで、戸惑いが広がっています。

傍観者的に報道を見る僕らにとって見れば、なんだか混乱しているなあという印象だと思いますが、「混乱」は悪いことなんでしょうか。

これまでに本はあまり大きな「混乱」なく、ものごとが決まってきました。でもこれは、ものごとが表に出る前におおよその落としどころが関係者の間で合意されているということであって、表に出る話が多くの人にとって受け入れやすいからではありません。

民主党政権になって、「混乱」が多いのは、あえて事前の根回しをせず、議論を表に出そうという方針だからでしょう。もともと民主党の理念は透明性と公開議論による意思決定なので、その理念をそのまま実践すれば、こういう結果になるのです。八ツ場ダム中止も公約をそのまま実行に移しただけなので、今までのところ民主党政権はマニフェストに忠実に行動しようという姿勢が明確で、わかりやすいと思います。


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2009年10月08日

(by環の花) 転載記事

Environmental Eyes

(by環の花)

妻です。

最近、考えさせられた文章を二つ見つけたので、長文ですが時間がある時に読んでみて下さい。

※2004年の毎日新聞の記事を転載して書いた人の文章。
↓以下転載

「ヒューマンな価値観」
毎日新聞の福岡記者の「死」の現場を歩く第2部。
その中で、屠畜場で働く藤本さんはこう言う。

・・「私はね、焼き肉する時はうるさいんよ。自分でひと切れ焼いて、それを食べたら、次のひと切れを焼きなさいとね。いっぺんにいっぱいのせて焼こうとすると私が絶対許さん。いっぺんにのせたら、すぼらかしてダメになってしまうやつが必ず出るけんね。肉はひと切れずつ、自分で食べるしこ、自分で焼いて食べなさいとね。みんなうるさかと思うやろばってん、言わんではおれんとよ」・・

彼は台所に神棚を設置し、手を合わせることを欠かせない。

福岡記者の記事には第一部もあり、毎年何十万と犬や猫を処分している現場の取材である。

・・犬猫の処分業務を実際に行っている人々とのやり取りの中で、彼らの口から飛びだした言葉だ。
「必要悪という言葉のあるやろう。私らはそん必要悪たい」
そう言って自らを卑下する人たちに、私は抗弁した。
「悪じゃないでしょうもん」
「悪じやないならなんな」
彼らも食い下がる。
「善ですよ」
「善?、そげなこつ新聞に書いてみない。動物愛護家からどげな抗議の来るて思うな」
この人たちに自分らの存在を「悪」とまで言わせてしまう世間の視線に憤りを覚えた私は、勢いに駆られて言った。
「抗議ぐらい来たって構いやしません。社会の安全と環境を守っているこの仕事が何で悪ですか。善に決まってます。新聞にもそう書きます」・・

近隣から白い目で見られる保健所の人たちを前にして、そういいたくなる気持ちはわかる。いい記事だし、読めば記者もいい人だと思うがヒューマニズムに毒されていると言わざるを得ない。現場の人が言い分のほうが力強いことは続きを読めば明らかだ。

・・この取材の中で、安楽死処分を行っている人たちに「できれば一緒に作業させて下さい」と何度かお願いした。そうすることで、少しでもこの業務にたずさわっている人たちの気持ちに近づけると思ったからだ。だが、いつも断られた。「別に隠したいわけじゃないと。ただ、何の罪もない生き物を何十、何百といっぺんに殺すとだけんね。そんな思いをするとは我々だけで十分。ほかのもんにまでその気持ちを味あわせたくなかよ。殺さなんとは何の罪もない生き物だけんね・・

善とか悪とかヒューマンな価値観なんか動物には関係ねーんだ。僕はなにも処分する職員を責めるつもりは全く無い。おそらく福岡記者と同様、肉を食べたり、野犬などのいない衛生的安全な生活を望みながら、屠殺場や処分所を迷惑施設的に扱うヒューマンな連中に怒りを覚えている。以前2万匹のコアラを処分しようとするオーストラリアの記事 でも書いたが、数十万の犬や猫は職員によって処分されているのではない。日本人総体として殺しているのだ。先日、野良犬が多いある国のドキュメントを見ると、ナレーターの言葉には、日本より衛生面で遅れている印象が含まれているように感じた。本来なら日本にも何十万と野良犬がいてしかるべきなのに、せっせと殺しているだけのことだ。
記事の最後の方に書かれているのは処分する職員の切なる願いかもしれない。

・・犬猫を処分する業務に携わる人たちが仕事に割り切れなさを感じている理由の一つと して、安楽死させた犬猫の体がただちに重油で焼却さ れていることも あげられるかもしれない。(中略)日本でも戦後かなり後になるまで、処分した犬の体は徹底的に有効利用されていた。・・

↑以上転載

※以上の記事を受けて書いた北海道で平飼い養鶏をやっている方のブログ
↓以下転載

「鶏飼いにまつわる重い話」
 先日、「いのちを取り込む」にTBが送られてきた。記事はedaさんによる鳥新聞の「ヒューマンな価値観」だ。

 ここには、日本で生活する私たち人間の「安全を守るため」に「野犬」を殺処分する人たちのことが書かれているのだが、その中に「数十万の犬や猫は職員によって処分されているのではない。日本人総体として殺しているのだ。」という一文があった。
 
 実は、採卵養鶏という世界も、同じような職業の人たちを必要としている。私が今いおうとしているのは、恐らく想像されるであろう、経済効率が悪くなったという理由で産卵わずか1年の鶏を屠殺する人たちのことではない。

 それは、生まれたばかりのオスのヒヨコを殺処分する人たちだ。

 採卵養鶏にはオスは要らない。しかしたまごはオス・メスの産み分けはできない。したがって、ふ卵機から出てきたヒヨコの半数は、即座に殺処分となるのだ。
 オスのヒヨコを処分する仕事は精神的によくないと、養鶏仲間から聞いたことがある、だから長く続けず交代にするのだと。このことの真偽は確かめていないが、やりきれない仕事であることは想像に難くない。
 オスだと確かめられるためだけに生まれて、消える命。これをどう受け止めればいいのか。
 
 私たちは、わずかにオスも飼っている。でもそれは、メス100に対して5でしかない。一つの群にオスが多すぎても、喧嘩をしてしまってなかなかうまくいかないし、体が頑丈で肉にするのもむずかしいから、これ以上はやはり飼えない。

 だから私たちも、オスを少ししか買わないという消極的なやりかたで、やはりオスのヒヨコを殺しているのだ。しかも、自分では手を下さずに、ほかの人にやらせてその精神を傷つけている。

 そういう業を背負っていながらそれを忘れて、自分は命に対して誠実であるかのような気になりそうだったところに、ガツンと一発パンチを食らわせてくれた、edaさんの記事に感謝。

↑以上転載

以上の二つの転載記事を読んでとても考えさせられました。
私はオスヒヨコの事は恥ずかしながらほとんど知りませんでした。今回の入雛に初めて私も雛屋さんに着いて行って、そこの職員の人に会って、全てがリアルに感じたので自分なりに色々調べてみました。そして綺麗事では済まされない現実を知りました。
可愛い雛を見ていて苦しくなったりもしました。
何日も考え、今もはっきりとした答えは出ていませんが、今の私に出来ることは「感謝」することだけだと感じました。
オスヒヨコに限ったことではなく、全てが何かを犠牲にしてなりたっているという現実から目をそらさず、その中で少しでもいい方向に向かうようにと願い、努力し、感謝と思いやりの気持ちを忘れない。

日々食卓では、命を「いただきます」と感謝する。命を頂き、自らの命を繋げる。
毎日ヒヨコを見て可愛いと感じ、オスヒヨコの事を思い出し、鶏の憎めない性格を知り、孵化させる為に一生懸命温めている卵の体温を感じ、野菜が芽を出し、花を咲かせ、実をつけ、次世代の為に種を残そうと懸命に生きている姿を見る。今のそんな暮らしは、つい忘れてしまいそうになる感謝の気持ちを思い出させてくれる。そこがこの暮らしの一番のいいところかもしれません。

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2009年10月07日

( by JIN ) 病気の事実を受け入れるのは負けではなくて決断である

Global Eyes

( by JIN )
掲題の言葉は、「希望学」(中公新書ラクレ、2006年)の中で、筆者のひとりである佐藤香氏が、ご自身の体験を踏まえて書いておられる言葉です。この佐藤香氏の言葉は、私自身の経験に照らしても胸に強く響くものがありましたので、タイトルとさせていただきました。

今回のブログでは、上記の本を読んで「希望学」について感じたことを書いた上で、私自身の経験にも重ね合わせていってみようと思います。

バブル崩壊後、「失われた15年」が過ぎ、景気が少しだけ上向きかけた所に金融危機に襲われ、日本の経済・雇用状況は停滞しています。バブル期までは聖域とされてきた大企業・正社員の雇用にもリストラの嵐が吹き荒れ、社員は終身雇用を当てにはできなくなりました。

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(by paco)【pacoの目×ecoの芽】010 「エコエグ講座:淡水資源」

Environmental Eyes

(by paco)昨日、火曜日、環境リレーションズ研究所会議室で、エコエグゼクティブ講座を開きました。毎月1回、pacoさんの環境実践勉強会です。今回も8人集まってくれて、製麻会議室はほぼ満室です。

今回のテーマは、「淡水資源」。地球は水の惑星で、10億トンとも言われる水に覆われていますが、そのうちの97%は塩水(海水)で、人、動物、植物は利用しにくい水です。淡水は3%未満しかなく、さらにその多くが氷や深いところにある地下水として存在しているので、人間の利用が難しい。人類が利用できる水は、全体の0.2%とも言われています。

その淡水資源が今回のテーマ。淡水資源は、今後石油以上の戦略物資になっていくだろうと言われ、環境問題やグロバリゼーション、経済問題と密接に関わっています。

かつては、水はそれぞれの国の国土に降った雨の量が、その国の国民が利用できる水の量でした。しかし、グロバリゼーションは「水の貿易」を可能にして、世界の水事情を一変させました。水の貿易と言っても、ペットボトル入りのエビアンのようなものではありません。食糧です。

植物が育つには、大量の淡水が必要です。小麦1kgをそだてるには淡水2トン。ふろ10杯分の水が必要です。米ならは4トン弱。さらに、牛肉なら20トンにもなります。穀物を育て、その穀物を与えて牛を育てて得られるのが牛肉なので、必要な水の量はどんどん増えるのです。

日本は「世界一の」食糧輸入国ですから、それだけたくさんの水を輸入していることを意味していて、こういった意味での水を仮想水、バーチャルウォーターと呼びます。


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2009年10月05日

(by paco)人生のwhat?を見つけるための<メディアリテラシー>講座、開講

Global Eyes


渡辺パコの「what?セミナー(2) メディアリテラシー」
全4回開催(2009年10月28日--11月18日)

■前口上

自分の人生の目標は何かとか、ライフワークは何かとか、そういうことについて考えたことはありますか? 自分のライフワークを、自分の人生を通じてやっていきたい「こと」=「人生のwhat?」と位置づけ、その見つけ方の方法論を提供しようというのが、このセミナーです。

講義のキモは、「社会を見るための確かな視点を獲得する」ということです。あれをやりたい、これをやりたいと思っても、「あれやこれ」とは何かをしっかり定めておかないと、やり始めてからぐらぐら、ガラガラとぶれたりずれたして、結局自分が何をやりたかったのか、見失ってしまうことがよくあります。

あなたが「これをやりたい」と誰かにいえば、「よくわからない」といわれたり「あっちの話をどこが違うのか?」と聞かれたり、「理想的だけど、実際には無理だよね」といわれたり。志が高ければ高いほど、他の人がやっていないことほど、それがなんなのか、なぜやらなければいけないのか、なぜできるのかを説明するのが難しく、それができないと、せっかくの志は実現する道筋が立てられません。

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2009年10月04日

(by paco)【pacoの目×ecoの芽】009 コミュニティなしには持続可能性はない

Environmental Eyes

(by paco)先日、横浜市内のとあるニュータウンというか、団地に行ってきました。開発されたのは今から40年ほど前。私鉄の駅からも歩けない丘陵地帯を切りひらき、計画的に造られた団地です。

団地全体はひとつの街として計画的に設計され、中層住宅が連続的に数10棟も連なると書くと、無味乾燥とした大団地を思いがちですが、実際には中層かした分、できた空地にふんだんに緑が配されているし、歩く動線とクルマの動線が立体交差で分離されているために、安全性も高く、快適な住空間です。そのぶん、欠点もあり、緑が多くて、棟と棟のあいだが離れているために、夜はかなり暗く、木々の下を歩かなければなりません。密集していない分だけ、歩く空間が長くなるわけです。古くからの住民が多いので、治安は良さそうでしたが、もし治安が悪化すれば、この空地は怖い空間になるだろうなと感じます。

来訪の目的は、団地の自治を担当するキーパースンとミーティングを行って、この街を持続可能にしていくために、何ができるのかヒアリングをすることでした。

1970年代あたりからつくられはじめた郊外のニュータウンは、次第に高齢化が進んでいて、子世帯はじょじょに都心に住むようになっているために、第一世代の高齢者が取り残され、生活の維持さえ難しくなっている場所が出ています。この団地では、幸いそこまでの問題は抱えていませんでしたが、進む高齢化と、それに伴う問題はあちこちにあるようです。


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2009年10月03日

(by NAMI) Open Mic

Global Eyes

(by NAMI)
HollywoodのOpen Micに参加してきました。
6月の日本でのライブ以来、Jazzの店で歌うのは3ヵ月ぶり。

最初は別の予定が入っていて、当日の昼ぐらいまでは、
Open Micのことも忘れていたのだけど、予定がなくなったことがわかり、
仕事をしながらどうしようか迷っていた。
夕方オフィスを出て、駐車場でもまだ決められなず・・・。

人も気候も環境も、全体的にゆるいロサンゼルス。
ここで自分のモチベーションをキープし、
目標に向かってライフバランスを保つのは、
東京のそれとはまた違った方法が必要な気がする。

音楽が好き、Jazzが好き、歌うことも大好きなのに、
元来怠け者の私は、"ラクな道"を歩もうとするらしい。

オフィスからHollywoodまでは、ド渋滞にはまりながら、約1時間はかかる。
それも、途中で鬼の車線変更をかまさなくてはいけない場所が2カ所あって、
運転が好きな私でも、結構な神経を使う。
さらに、店に一人で行くことや、Jazzを聞きなれた人たちの歌うことを考えると、
緊張してきて不快になり、「うーん、やっぱり行くのやめようかなー」・・・。

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2009年10月01日

(by環の花) 丸一年。

Environmental Eyes

(by環の花)

今日から、十月。

そして今日は「入雛の日」だった。うちでは春と秋の半年おきに雛を入れているので、今月で丸一年の我が農場では三回目になる。一回約100羽入れるので、現在鶏が300羽ということになった。

300羽となるとなかなか本格的な羽数で、もう立派な畜産農家かもしれない。(一般養鶏とは比べものにならないぐらい少ないが。)

ところで、今日半年に一度行く雛屋さんにいくと(そこは研修時代からの付き合い)、偶然僕が研修を受けたところの研修生がやはり雛を受け取りに来ていた。

その研修生は、たまたま僕が鶏担当を引き継いだ後輩で、色々と現在の塾の様子を聞いたりした。まぁ、相変わらずドラマチックな日々のようで、ちょっと懐かしくもあった。

今月で「農」のくらし丸一年だが、研修時代の日々ドラマチック生活に比べると平穏な日々すぎて、最近ちょっと刺激が恋しいかもしれないけど、これでいい気もする。

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