子育てワハハ


ワハハな人生道場


子育て真っ最中の皆さん、ちょっとここで自分の生き方や人生を考える「大人時間」を持ってみませんか。つい子どものことばかり語ってしまいがちな毎日。

人生は、濃く深く、ワハハと歩んでまいりましょう(演歌入ってますが)。




  第一話◆生きるということ、そして死ぬということ from Kuri

 

 ◆生きるということ、死ぬということ from Kuri


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■義父、ついに逝く。
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さて、年明け早々、こんな話で恐縮ですが、実は年末押し迫った26日に義父を亡
くしました。メルマガの編集後記にちょこちょこ書いていた通り、昨年の8月、
義父は末期ガンの宣告を受けており、切除手術を受けてから、入退院を繰り返し
ていました。

ガンが発覚してから担当の外科医は「切れば治ります。」を繰り返し、手術後は
主治医からも、「3ヶ月経てば臓器は元通りになります。」と励まされる日々。
その言葉を家族と義父は信じ、数ヶ月を過ごしていました。が、12月初旬に全身
転移が確認され、今回の結果に至りました。

義父は水戸にいましたので、東京にいる私たち夫婦は週末をはさんだ数日などを
利用してケアに参加していました。そして夏からずーっと感じていたことは、死
に限りなく近い「ターミナルケア」と生と命の極みである「お産」は非常に近い
課題がたくさんある、ということでした。
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■医療にとって、死は「負け」を意味する?
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ガンの全身転移が認められてから、義父は、

「これ以上、点滴も治療も嫌だ。」「痛いのはもういい。」「静かに過ごしたい。」
「ゆっくり眠れない。」「食事が口に合わない」

と苦痛をこらえながら訴えていました。そんなこともあり、義父はホスピス(緩
和ケア病棟)でのケアを受けたいという意向を病院に出しました。

家族としては、早急に緩和ケアに切り替えたかったのですが、主治医と家族の話
し合いが決着せず、なかなかホスピスには転院出来ませんでした。ホスピスへの
転院には主治医の承認と紹介が必要だったからです。

医療行為が大好きだと見受けられる義父の主治医は、体重が32kgにも落ち、マッ
サージするにも触れる肉もないほど骨と皮ばかりにやせ細った義父になお、「ま
だ治療の余地がある。」と治療の継続を勧めました。義父を毎日診ながら信じら
れない発言です。

私は夏から担当医師らに、手術後の再発の可能性や治癒についての質問をしてい
ました。外科医は、『私たちの手術に文句でもあるのか』と言いたげな表情で
「3年後の生存率は3%です。ご家族の方は治癒を信じて、介護をしてあげてくだ
さい。」と義父の前で少々不愉快そうに回答しました。

「3年後に3%」というのは非常に低い生存率です。もちろん完治ができると信じ
切っていたわけではありませんが、その後、全身転移を告げられた時には、「裏
切られた」と思わざるを得ませんでした。

私たち家族は、「治癒を信じろ」といわれてきたわけです。でもむしろ悪化して
いた。そして医師は最初から「手術は成功。悪くなるのは患者の治癒力不足。」
というロジックを貫いていたわけで、どんなに義父に関して情報を共有していて
も、これではインフォームド・コンセントになっていなかったわけです。

私たちは、それになかなか気づくことができませんでした。もし医師が「死」の
可能性を提示していたら、私たちが義父にできたことは、まだあったでしょう。

「これ以上、この人たちに義父を任せておけない。」そう確信したタイミングが
遅すぎました。全身転移後に訪れる死は、本人や家族が思っているよりも99%早
く訪れるのです(これはその後、ホスピスの医師から聞きました。聖路加国際病
院理事長の日野原重明さんも自著で語っています)。
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■誰にも邪魔をされずに、生まれ、そして死んでいきたい。
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結局、義父が転院できたのは、全身転移が認められてから3週間後の25日の午後。
そして医療行為もなく、落ち着いた環境に安心したのでしょうか。枕元にあった
ローズとネロリの精油の香りに包まれて、逝ったのは翌日26日の明け方でした。

突然、酸素マスクを自分ではずし、「行くんだ。」と。家族が「え?」と尋ねる
と、「帰るんだ。」とハッキリと家族に最期の言葉を話し、誰にも邪魔されず、
静かに自分で死を選び取って逝きました。

そんな義父があまりにも粋で、私は義父に出逢えたことに誇らしい気持ちで一杯
です。そして、自分もこうして義父のように、誰にも邪魔されず、生まれ、産み、
精一杯生きて、死を全うしたいものだ、と心から思いました。
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■死にざまは、生きざま。
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義父はすでに70歳を越えていました。そして自分なりに大切にしている「美学」
がありました。そして、ケアスタッフに誰よりもねぎらいの声をかけていたのは
義父でした。

だからこそ、病院にいるとき、看護のスタッフに、ききわけのない幼児を相手に
するような容赦ない声のかけられ方やケアをされ、心のケアと甘えを許されてい
なかったのが、傍から見ていても心苦しいばかりでした。そして義父が必要以上
の医療行為を拒みながら、そのためにどうしたらいいか、早く対応できなかった
ことが悔やまれます。

でも一日にも満たない時間でしたが、ホスピスに移ってからは、心優しくケアに
対応するスタッフと医師、そしてすばらしく静かで落ち着いた病室と環境の中で
義父が死を選べたことは、本当によかった、と心から思いました。

私がこの話をしたとき、ある医師の方が、「亡くなり方は、生きざまなのです。」
と応えてくださいました。まったく同感です。そして死ぬことは、今をいかに質
の高い人生を送ることか、を考えることです。

生まれ出てくること産むこと、そして死は、「その人の生活の質」や「美学」、
そして「心」と強くつながっていること。そしてそれを自分の意思で選び取り、
自分の思い通りにそれを達成できることが、どんなにその人の生きざまを変える
か、そしてそれがどんなに家族にも大きな“勇気”を与えられるか!
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■医療も人も、よりよく変わることができる
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人が人を診て、触れて癒すのです。医療者も消費者も、よりよくしていくのは、
それぞれの責任です。

病気も、そしてお産も今、ほとんどが「生活」という場から「医療」という場に
移りました。だからこそ、病院をはじめとした医療機関、そして医療者は人が最
も癒される「場」「ケア」は何かをもう一度、ここで問い直されていいかと思い
ます。それはつまるところ、人の「生活の質」を問うものなのです。

私たちにもできることはたくさんあります。そのために、例えば「お産」を例に
とると、
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○産む側が医療者に自分の希望を「リクエストする」のが当たり前である、
 という意識を持つこと。そしてそれが根付くように気づいた人から努力を
 すること。

○医療側、産む側が伝え・理解するための「コミュニケーション」や
 「共通言語作り」を今後も双方が積極的に努力していくこと。

○お互いにコミュニケーションできない場合は、勇気を持って転院、
 セカンドオピニオンの取得など消費者側が自主的に行動すること。

○産む側が「何をどうしたいか」、「どうしたら自分らしく快適か」を、
 普段から意識してそれを言葉にできることが最も大切なことです。
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特に最後の項目は、いわゆる「バースプラン」です。最近は、「バースプラン」
を作成する産院も多いですが、それはまさしく「自分らしさ」を言語化すること
です。

日本人は契約書のように言葉を書面にするのが苦手です。その“曖昧さ”もいい
部分がありますが、特に医療のように専門性の高い事柄が関わる場合や自分の命
が関わるケースには、コミュニケーションする手段としては、非常に有効な方法
のひとつです。

この書面に残す方法に関しては、ある助産師さんがこんな本をご紹介くださいま
した。
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沈黙のかなたから―尊厳死の宣言書/終末期宣言書/レット・ミー・ディサイト
医療の事前指定書 立木 寛子 (著)
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これまで義父が死をもって私に教え、示唆してくれたことはあまりにも大きく、
そして今後の私の生きざまに深い深い指針を与えてくれるものでした。今後の私
のすべての活動に、今回の一連の体験は活かしたいなと思っています。

 

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