●ワハハ・もっといいお産を考える委員会 育児は子どもがお腹にやってきたときから始まります。 もっといいお産をして、もっといい子育てを見つけたい人のために、 ワハハはいいお産を考えてみます。 |
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◆その1 ●お産に向き合う人から、いろんなことを学ばせていただきます ◆その2 ●第1話 生まれ帰って来た命 ●第2話 話せない女性 ◆その3 ●第1話 素直な心で出産を迎えたら… ●第2話 心からのケアが、奇跡を呼んだ ◆その4 ●家族みんなで誕生を喜ぶ気持ちは、どこでも一緒 ●小さな命、少しでも明るく生きていけますように… ◆その5 ●あるがままを受け入れる優しいお産でした ◆その6 ●無条件に愛され、認められていること…子どもたちは敏感に感じています ◆その7 ●み〜んな違って、み〜んな大切
◆たくさんの支援物資ありがとうございます ●お礼の手紙より…支援物資を通じて、見えてくること ★冨田さんの活動を支援していこう! 〜〜お産に関する資料を探しています〜〜 ■フィリピンの小さな助産院を支援しよう!(2003.7.まで) ⇒「フィリピン助産院支援」に御協力ありがとうございました! |
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■聖路加看護大学看護実践開発研究センター事業
『赤ちゃんがやってくる』 |
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■「誕生死」が教えてくれること(前篇) ■「誕生死」が教えてくれること(後篇) ■『誕生死』という名の由来 |
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■アフガニスタン助産院設立運営支援のための募金閉鎖のお知らせ 〜 ワハハからアフガニスタン助産院設立に寄付しました〜 |
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■poiの助産院レポート「もっと身近に助産院」 |
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◆「フィリピン・ピナツボ山麓の産屋から」 〜助産師 冨田江理子さんの助産日記〜 ◆その7 |
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◆「フィリピン・ピナツボ山麓の産屋から」 〜助産師 冨田江理子さんの助産日記〜 ◆その6 |
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◆「フィリピン・ピナツボ山麓の産屋から」 〜助産師 冨田江理子さんの助産日記〜 ◆その5 |
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◆流産・死産・新生児死亡を体験した方々へ セルフヘルプの集いのお知らせ |
お産は、もちろん輝かしい命の誕生の瞬間ですが、それは、いつも「生」とは両 極の「死」とも隣り合わせであるということ…。 少し立ち止まって、自分が授かり、育てている命のこと、そしてこうして今、自 分たちが生きていることを、あらためて考える時を持つことも大切だと思います。 小さな命をおなかの中で亡くしたことのある方から、こんなお便りを頂きました。 ========================================================== 私には、子どもを失った悲しみを乗り越えることはできない。 忘れてしまいたいほど辛く悲しい体験だったはずなのに、 それがほんのわずかな我が子との思い出でもあり、 全ての出来事を決して忘れたくない、 忘れてしまうのがこわい。 子どもの生きた思い出がない分、おなかの中にいた時の感覚や、 対面したときの顔や、抱っこした時の重みや手足の大きさや形。 病院のベットの上で感じたことや、過ごした時間や空気までも。 一緒に過ごした時間の記憶が薄れてしまわないように 何度もたくさん思い出して、涙を流し続けたいと思う。 子どもの死に向き合った人は、 その後、どうやって生きて行けばいいのですか…? 一人で苦しくなったとき、同じような体験をした人と話し合うのが 助けになるかもしれません。 もう大丈夫と思っていても、 無理をしていることがあるかもしれません。 あなたの生き方が他の人を助けることがあるかもしれません。 私は、子どもの死を 「乗り越えるのではなく、共に生き抜くこと」が 私の残りの人生に意味を与えてくれるのではないかと 思い始めています。 ========================================================== もし、あなたの周りに大切な小さな命をなくした人がいたら、思いやりの気持ち と一緒に、今回のお知らせを届けてあげてください。 ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽ 【流産・死産・新生児死亡を体験した方々へ セルフヘルプの集い】のお知らせ http://plaza.umin.ac.jp/artemis/npdrc/tensi.htm 忘れるのではなく、断ち切るのでもなく 私たちはいつでも天使たちと一緒です。 がんばらなきゃなんて思わないでいい。 後ろ向きだってありでいい。 みんなで力を分け合ってゆっくりいけばいいのです。 あなたは一人ではありません。 With the Angels In the Sky そして、たくさんの天使パパ、天使ママと一緒です。 亡くなったお子様のことやお気持ちを、お茶を飲みながらゆったりした雰囲気で 自由に語っていただけます。同じ体験をしたスタッフがお待ちしています。 ■日程:毎月第2水曜日 2004年 9月 8日(水)・10月13日(水)・11月10日(水)・12月8日(水) 2005年 1月12日(水)・ 2月 9日(水)・ 3月 9日(水) ■時間:13:30〜16:30 ■対象: 流産・死産・新生児死亡などで子どもを亡くしたお母さん、お父さん、 おばあさん、おじいさん ■参加費: 無 料 ■申し込み方法: メールにて事前にお申込みください。件名に「天使の保護者ルカの会希望」と書 き、内容に「氏名」あるいは「ハンドルネーム」、「連絡先」をお書きください。 参加にあたって不安なことなどは、ご遠慮なくメールでお尋ねください。申し込 み受付後、一週間以内に受付確認の返信をいたします。 メールアドレス: osoranotensi@slcn.ac.jp ■開催場所: 104-0045 東京都中央区築地3-8-5 聖路加看護大学 2号館 看護実践開発研究センター3階相談室 もしくは 多目的ホール tel/fax03-6226-6387 ■運営スタッフ ・お空の天使パパ&ママの会運営スタッフ ・過去に流産・死産・新生児死を体験した母親によるボランティア *お空の天使パパ&ママの会 お空の天使パパ&ママの会とは、流産・死産を始め、新生児期にあらゆる理由で お子様を亡くされた方の精神的ケアを、同じ体験をした者同士の相互の関わり合 いの中で行っていこうとするセルフヘルプグループです。 ▼お空の天使HP (関東支部) http://www.h4.dion.ne.jp/~wais.kt/ (本部) http://wais.moo.jp/ ・太田 尚子 助産師 聖路加看護大学 大学院博士後期課程 お空の天使パパ&ママの会運営スタッフ ・堀内 成子 助産師 聖路加看護大学 教授 http://plaza.umin.ac.jp/artemis/ 他、聖路加看護大学の大学院生・学部学生が協力しています。 ■主催:聖路加看護大学看護実践開発研究センター お空の天使パパ&ママの会 <看護実践開発研究センターとは> 少子高齢化社会で生じている健康問題や社会の動向を、看護の視点でグローバル に捉え、科学的根拠を集積し、市民とのパートナーシップをとりながら、看護の 提供方法を開発研究することを目的とし、聖路加看護大学内に2003年4月に開設 されました。 |
◆「フィリピン・ピナツボ山麓の産屋から」 〜助産師 冨田江理子さんの助産日記〜 ●お礼の手紙より |
●お礼の手紙より…支援物資を通じて、見えてくること ------------------------------------------------------------------------ 前略 先日はクリニックへの物資、本当にありがとうございました。頂いた物資は、も う全て売られたり、配られたり、で手元には残っていません。 薬はこの雨、雨、雨で、風邪をこじらせてしまった子どもたちに大変役立ちまし た。(フィリピンは12月位まで雨季になります。降り始めると何週間も雨で洗濯 が乾かず、けっこう大変です) 日本の人がフィリピンの貧しい人のことを考えて下さること、すごくありがたい と思います。私はここで、世界には、いろんな考えや生き方があるということを 度々見せつけられます。 そして自分の持っている価値観が、決して世界に通用するものでないことを知り ます。日本と途上国の関係は、決して一方通行に「持っている人」「持っていな い人」と決めつけることができないこと(上下でない)を、少しでもお伝えして いければ、といつも心にとめています。 ですが、なかなか日本にいるだけでは、きっとピンと来ないものだ、というのも よくわかります。だからまず、関心を持って下さり、何らかの行動に移して下さ る人々の力が、すごく私にはありがたいのです。 食品も衣類も薬も、ここでは不足してばかりです。しかし充分な衣類を持たずと も、寒さに耐えうる身体を作っていける力が、ここの子どもたちにはあります。 雨の中、はだかで走り回り、一日そのまま、家族と小さな寝具にぎゅうぎゅうに おさまって眠ります。日本の子どもたちにはあり得ない状況ですが、こういう積 み重ねが、身体を強くしていくように感じます。(当然、中には風邪をひいてし まう子もいますが、全体から見ればわずかです) 電気のない生活は、自然を上手く利用していきます。遊び方も、身近にある石や 木を使っていろいろ。何より、子どもは子どもであることを十分に認められ、保 護されている社会です。貧しくとも子どもたちの目は、他人を素直に見つめてき ます。(大人に気を遣うことがない) フィリピンの伝統的な食事も文明(=経済)が入ることで、どんどん簡単に、お いしくできるインスタントものが増えています。食品規制のないここでは、何も 考えずに、安さだけでいろんなものが売られ、多くの人が身体の不調を感じてい ます。 貧しい人は、今や、味の素がないと調理ができないと思っていますし、少しお金 のある人はコカ・コーラを飲めることが幸せと思っています。そのため、白血病 や心疾患、腎系の病気が子どもにも増えています。これらは全て日本から来た企 業の収入になっています。他の保存料etc.も日本企業だそうです。 フィリピン政府は、アメリカにおいつくことばかり考えていて、底辺の生活がど うなっているのかには、関心を示していません。これは本当、なんともならない 現実です。 多産のフィリピン、家族計画も中途半端で、多くの女性は、神様の子どもだから と仕方なく出産しています。うまれてすぐ、千円とかで売られていく赤ちゃんの 心を思うと、やはりやりきれないものを感じます。 WHOが配るピルもいつのまにか有料になったし、そのピルもかなりきついので副 作用がすぐに出ます。(しかしWHOは、多少の副作用で女性が亡くなるよりも、 その人たちが子どもを生まない方が大切だと言っています)これもやはり人とし て、受け入れる側(ピルを飲む側)は納得しないでしょう。 途上国の森林の70パーセントは日本に運ばれ、いろいろなものに使われます。 ここでは森がなくなり、土砂崩れがおこり、栄養分が流れ、米の収穫量が減り… という図式があちこちにあります。 他にもたくさんのこと、日本の人は考えてみたこともないであろうことが、途上 国にいるとみえてきます。何ができるのかわかりませんが、何かしないといけな い、目の前の病人は手を貸さなければ亡くなっていくかもしれません。 いろんな方が「ワハハ」を通じて少しでも知ってくださることがありがたいです。 お送り下さったものは間違いなく現地の人々に役立っています。たくさんご協力 下さった方々によろしくお伝え下さい。 *冨田さんへの支援物資は、現地へ直接送付して頂けるのであれば、常時受け付 けています。詳細はこちら ―――――――――――――――――――――――――――――――――――― ●心温まる、こんなお産がありました ------------------------------------------------------------------------ 夜の9時、大雨の音と一緒に、人の声が聞こえる。こういう時は私の所に患者を 連れてきたか、お産であることが多い。戸から顔を覗かすと、たくさんの子ども たち(4歳から10歳)がいた。口々に「お母さん、生まれるって言ってる」と繰 り返す。 持つ物を持って子ども達のあとに続く。ここは山を切り開いて作られたエリアな ので、急な坂道がたくさんある。道も当然舗装されていない。雨で地面はすっか りにゅるにゅるだ。何度も尻餅をつきそうになりながら、足取りの軽い子どもた ちに続く。 彼らは懐中電灯すら持っていない。しかし確実に見えているのだ。なんともここ の人の自然と共存する力はすごい。「遠いねー…」息が切れそうになる。もうだ めだ、と思った時、子どもたちが一軒の家に消えた。着いた! 家の中に入るとお母さんはロウソクの光の下、気張っていた。その息使いはもう すぐ生まれるというのが分った。鋏などの煮沸消毒の用意が整った。 小さな子ども(4歳)が母親にくっつき、心配げにしていた。お母さんの苦しそ うな様子に、何があったの?と、一生懸命な目線で私に聞いてくる。心配ないよ、 と目で返す。 次の発作で、にゅるんという感じで、赤ちゃんがでてきたのをそのまま見た。 「うわーすごいすごい」 外に出されていたお兄ちゃんたちも、我慢できなくなって入ってくる。そこには ほかほかの妹がお母さんに抱かれていた。子ども達は、「すごいすごい、かわい いかわいい」、と母親の周りを踊るように回った。竹でできた家は、ぎしぎしと 揺らいだ。 赤ちゃんは目を開けて、不思議そうに、揺れるリズムを感じているようだった。 最近あった自宅でのお産です。貧しくて子どもが増えても困るのだけど、子ども たちはいつも、妹や弟が出来るのを大歓迎します。暗い夜道、大雨の中、私の家 まで来るのは怖いことだったと思います。しかし、少しも怯んでいませんでした。 大好きなお母さんに頼まれた事だし、赤ちゃんが生まれると聞いたからでした。 お父さんは出稼ぎでいません。近所の人が手伝っていました。いろいろ問題はあ るけど、人生の初めに喜ばれて迎えられる命は幸せだと感じます。 ★冨田さんの活動を支援していこう! |
◆「フィリピン・ピナツボ山麓の産屋から」 |
―――――――――――――――――――――――――――――――――――― ●家族みんなで誕生を喜ぶ気持ちは、どこでも一緒 ------------------------------------------------------------------------ こちらは雨季に入り、連日大雨です。道が舗装されていないので、ドロドロズル ズルで何度も泥んこになっています。ついでに雨が降ると停電で、一昨夜も、ろ うそくの光の中で、赤ちゃんが生まれました。 初めての人で、やや遅れ気味の陣痛、そして胎児が大きいこともあり、病院へ転 送しよう、と何度か頭をよぎりました。 朝方、元気に、細長い頭で生まれてきた子どもをすぐに抱いたお母さんは、「私 出来たわ!私産んだわ!!」と大声で泣いていました。家族みんなに祝福されて いる姿は、とても美しかったです。 病院へ送らなくて良かったと感謝しました。フィリピンでの病院出産は、いろん な面でプライバシーがなく、いい出産環境、とはいえないのです。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――― ●小さな命、少しでも明るく生きていけますように… ------------------------------------------------------------------------ 昨日、たぶん予定日を2ヶ月ぐらい越えているにもかかわらず、まだ生まれない という妊婦が、彼女の姉に連れられて来ました。彼女は知恵遅れで、5歳の子ど もと路上で暮らしている所を、長姉が見つけて連れて来ました。 妊娠していない間は、外で洗濯などを請け負って、次姉宅で居候していたようで す(当然、収入は次姉が得ていた)。しかし出産間近になると、次姉は彼女のお 産にかかる出費が嫌で追い出したそうです。 それを淡々と語る、5歳のやせ細った長女〈母親は殆ど話さない〉。たまらなく なりました。わずか5歳で、この子は人間の悪い所すべてを見てきたのでしょう。 赤ちゃんも、きっと生まれてくることが怖いのだと思いました。残念でしたが、 少しも児頭(赤ちゃんの頭)が降りてこないので、病院へと搬送しました。 病院へ送るとき、産後に飲むようにと、いくつかのビタミン剤を渡しました。小 さな人生を、少しでも明るく歩んでいけるように祈るしか、今の私には出来ませ ん。ただ、病気になったら、いつでも来ていい場所だということは伝えました。 この人たちが特別に不幸ではありません。こういう話は時々あります。いろんな 人がお互いに関心を持って、みんなを家族のようにとらえない限り、改善してい くことは難しいでしょう。 今日、5歳の少女は帝王切開で生まれた妹を抱いていました。妹は数時間後に売 られていきます。 つらいです。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼冨田江里子さん 6月6日〜7月18日まで日本に一時帰国 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 冨田江里子さんが、6月6日から7月18日まで、日本に一時帰国しています。その 間、クリニックや現地の話を聞いてみたい、興味がある、という方は、ぜひ冨田 さんまでご連絡ください。 erikobarnabas@hotmail.com 今回は、諸事情により、日本滞在中の支援物資の送付は受け付けておりませんが、 冨田さんの今までのお話にもあったように、支援物資が数多くの命を支えていま す。ワハハでは、今後も冨田さんの活動を支援していきたいと思います。どうぞ みなさま、よろしくお願いします。 |
▼聖路加看護大学看護実践開発研究センター事業 『赤ちゃんがやってくる』 |
▼聖路加看護大学看護実践開発研究センター事業 『赤ちゃんがやってくる』 子ども(幼児)と妊娠中のお母さんお父さんのためのクラスが開催されます http://www.slcn.ac.jp/coe/ Edit by yako ------------------------------------------------------------------------ 2人目の妊娠&出産で、気になるのが上の子のこと。「赤ちゃん返りするんじゃ ないか」「生まれてくる赤ちゃんに嫉妬するんじゃないか」。ならば、赤ちゃん がやってくることや、自分が赤ちゃんだったとき、どんなふうに生まれて、そし てどれほど大切にされてきたかってことを、ちゃんと子どもたちにお知らせして、 家族みんなで赤ちゃんを迎える環境を整えてあげませんか? 私自身、2人目を産んだ助産院で、同じようなクラスを体験しました。お兄ちゃ ん・お姉ちゃんになる子どもたちは、幼いながらもそれなりに、「赤ちゃんがや ってくる」ってことを自然に受け入れ、生まれたばかりの赤ちゃんの沐浴を、そ れはそれは真剣に見つめていた姿が、とっても微笑ましかったです。 (そのときの様子はこちら) これから上の子どもたちと一緒に出産を迎える方、ぜひ参加してみませんか? ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ 聖路加看護大学看護実践開発研究センター事業 『赤ちゃんがやってくる』 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ ●対象:子ども(幼児期)と、妊娠中のお母さん、お父さん ●内容: 紙芝居、ゲーム、赤ちゃん人形の抱っこなどを通し、ヒトの始まりから出産まで を助産師がわかりやすくお話していきます。また、妊娠や出産・性について、子 どもに尋ねられたときにどのようにこたえたらよいかなど、お母さん、お父さん からのご質問にお答えします。 ●日時: 1 2004年 7月10日(土) 2 2004年 9月11日(土) 3 2004年 10月 9日(土) 4 2004年 11月13日(土) 5 2005年 1月15日(土) 6 2005年 2月19日(土) ●時間:10時30分〜12時(10時より受付開始) ●参加費:2000円(1組) ●募集:先着10組 ●場所:聖路加看護大学2号館3階多目的ホール http://www.slcn.ac.jp/coe/event/baby.html ●申し込み方法: 電話かfax又はハガキにて事前にお申込みください。「赤ちゃんがやってくる希 望」と書き、「氏名」「連絡先(住所・電話番号・電子メールなど)」「希望の 日時」をご記入ください。参加費は、当日お支払いください。 ●講師とスタッフ: 土屋麻由美 麻の実助産所 助産師 聖路加看護大学 看護実践開発センター客員研究員 http://homepage2.nifty.com/asanomi/ 片岡弥恵子 助産師 聖路加看護大学 看護実践開発研究センター講師 http://www.slcn.ac.jp 堀内成子 助産師 聖路加看護大学 教授 http://plaza.umin.ac.jp/artemis/ その他 聖母病院スタッフ 聖路加国際病院スタッフ ●お申込みと問合せ: 聖路加看護大学 看護実践開発研究センター 104-0045 東京都中央区築地3-8-5 tel/fax03(6226)6387 http://www.slcn.ac.jp |
◆「フィリピン・ピナツボ山麓の産屋から」 〜助産師 冨田江理子さんの助産日記〜 ◆その3 |
●第1話 素直な心で出産を迎えたら… ------------------------------------------------------------------------ ある日、どこにも健診に行ったことがない、と言う38週の初産婦が来た。お腹の 上から触診して、私の顔は歪んだ。逆子だ。しかもかなり下がっている。 「ありゃー、赤ちゃん勘違いしてるよ、逆子だよ。でも、体操すれば直るからや ってね」と逆立ち体操を教える。 この体操は、壁や介助者を使った肩逆立ちを15分ぐらいした後に、横向きで休む というものだ。逆子の妊婦曰く、すごくつらいらしい。しかし、もうすぐ予定日 だから、ほかに手段はない。 この辺りでは、逆子の多くは出生時に亡くなるので母親は真剣だ。「やれば回る から、後は赤ちゃんにちゃんと話してあげて、頭を下にするように言ってね!」 と説明して、お腹をさすりながら「おーい頭を下にしないとしんどいよ」と赤ち ゃんにもお願いする。 ここでは、胎児と会話できるだの、胎教だの、という知識は普及していない。多 くの母親が、健診の度に胎児にも声をかける私を不思議がる。しかし、「赤ちゃ んだって理解しているんだよ」と話すと、殆どの妊婦が素直に納得する。 私でも産科学では、この妊娠週数で自己回転する確立は1%以下だと知っている。 しかし、今となっては体操に賭けるしかない。祈る気持ちで妊婦を見送った。 1週間後、陣痛は始まってしまった。逆子なら直ぐに病院へ運ばなきゃと、焦る 気持ちを笑顔で隠し「直ったかなー」と触診をする。母親の顔はうれしそうだ。 本当の所はダメだろうなと思っていたので、私が大声を上げた。 「あーすごい、頭位だ!よくがんばったね!」 体操を始めて4日目に回ったのだという。数時間後お騒がせベイビーは3200gで 生まれてきた。 今までも妊娠9ヶ月ぐらいまでの逆子は、ほとんどこの逆立ち体操で直っていた。 しかし臨月の逆子に体操や語りかけをアドバイスをしたのは初めてだった。 日本でたくさんの外回転術を見てきた。回らない子は本当に頭位に戻ってくれな かった。どうしてここではこんなに直るのだろうか? 私はこう感じている。妊娠出産に関する情報が少ないので、妊婦に既成概念が何 もない。体操を真面目にすれば直るからと言い切られることが、妊婦や胎児の可 能性を引き出すのだろうと思っている。 赤ん坊の可能性は、医療者の常識を簡単に超えることが出来るのかもしれない。 最近そう思う。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――― ●第2話 心からのケアが、奇跡を呼んだ ------------------------------------------------------------------------ 1月のある日、脳性麻痺になってしまった5歳の男の子が、私のクリニックに運ば れてきた。3週間前に髄膜炎になり、痙攣発作を繰り返し、運び込んだ病院でも 診断が付かず、処置が1週間も遅れたことで、少年の脳はほとんど止まってしま った。 歩くことも、手を動かすことも、食べ物を咬むことも、しゃべることも出来ず、 流動食でやっと命を繋いでいる状態だった。医師からは希望はないと見放され、 “貧しい人のためのクリニック”との噂を頼って、私の所に来たのだった。 使えなくなった手足はやせ細って、体重は8kgしかなかった。脳に血液が十分に いかなかったのだから、今からでも循環を助けてやれば、目覚める部分が脳には あるように感じた。 うつろな少年の瞳に涙が流れた。(母親も驚いていた)“もう一度お母さんって 呼びたい”そんな少年の心の声を聞いた気がした。 「諦めてはダメ!できることをしてみようよ、きっと少しずつ回復するよ」と、 両親にマッサージの仕方、食事指導、生活の注意と一緒に日本の支援者から頂い たビタミン剤と、こちらで手に入る漢方薬を服用させるように説明し、祈る気持 ちで彼らを見送った。 それから毎日、母親は時間があれば子どもの身体をマッサージし、やわらかい食 事を用意し食べさせた。四六時中話しかけ、抱っこであちこち連れ歩いた。 父親は入院で出来た借金の返済と子供の食事のために、朝から晩遅くまで働き続 けた。両親の努力は周囲のものが、倒れるからと何度も止めたほどであった。 そして2週間後、再び少年は両親に抱かれてやって来た。母親が「ご飯が噛める ようになったのよ!!」と嬉しそうに教えてくれた。回復の1歩だ! その後も少しずつではあるが回復をし、体重も増え、ついに「お母さん」「お父 さん」「嫌だ」等の言葉を話すようになってきた。腕を自分で動かせるようにも なってきた。 この子の回復の影に、日本の方が送ってくださった薬にこめられた想いや、子ど もの生きる力、私のアドバイスを信じてマッサージをし続けた両親の深い愛を感 じた。 “脳死判定を受けた子どもでも、両親や家族が回復を信じて疑わず、看護し続け る事で、ごくごくまれな確立で生き返ることがあった”と語ったアメリカのICU 勤務看護婦の話が思い出された。 両親は少年を抱えて、定期的に1時間の道のりをかけてやってくる。私も回復を 信じる!がんばれ!! そしてそれから2ヶ月、信じられないことが起こったのだ。 私のクリニックは土足厳禁。4月19日一番目の患者は両親と小さな男の子だった。 “むっ!!子どもが運動靴のまま入ってきたな、よし、注意するぞ”と母親の顔を 見て私は心から驚き、そして涙が湧いていた。 新品の運動靴で入ってきたのは、あの昨年の12月に脳性麻痺で回復はしないと医 師から宣言されていた男の子だったのだ。6才の子どもらしく歩き回っているの で、分からなかったのだ。 まだ知能の面では弱い部分もあるようだが、口もしっかり達者に回復していた。 はったりで絶対良くなるから、と両親に言い続けてきた私が、今更“奇跡だ!” と本心を漏らしてはいけない。 しかし、めちゃくちゃ嬉しい。アドバイスを守り、回復を疑わなかった両親の深 い深い愛情に感動した。奇跡を起した男の子の生命力にも。今日はなんて幸せな 日なんだろう。皆様方にも感謝申し上げます!!! ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ★冨田さんの活動を支援していこう!★ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━● |
◆「フィリピン・ピナツボ山麓の産屋から」 〜助産師 冨田江理子さんの助産日記〜 ◆その2 |
●第1話 生まれ帰って来た命 ------------------------------------------------------------------------ 『お母さん、僕、絶対お母さんの子どもで戻ってくるからね』 亡くなる間際、その6才の少年は、泣きじゃくる母親をなだめるように息を切ら しながら話しかけたという。 少年は1週間前、重い肺炎症状で私の所に運ばれ、すぐに病院へ移した患者だっ た。診断名は白血病、田舎の病院で何の治療が出来るわけもなく、容態は日増し にひどくなった。 付き添っている両親は“もし自分が眠ってしまえば、その間に我が子は死んでし まう”と一睡もせず看病したが、報われることはなかった。 この夫婦には、18歳を頭に子どもが6人いたが、末っ子の急な病死に家族は呆然 として暮らしていた。しかし時間は心の傷を癒してくれるもので、家族が元の生 活に戻る頃、39歳の母親は体の異変に気付き、私のクリニックに再び夫婦揃って 現れた。 「確定できないけど(妊娠判定薬もないので)妊娠だと思う、予定日は7月18日 よ」と告げると夫婦は顔を見合わせて、「やっぱりあの子が帰ってきた、戻っ て来たのよ!」と抱き合って異常なほど喜んだ。 聞けば、予定日は亡くなった子どもの誕生日の2日前、奇しくも少年が亡くなっ た日と同じであった。偶然であるにしても、この夫婦は確実に生きる希望を見出 し、私は久しぶりに彼らの満面の笑みを見た。 世の中には常識を超えるいろんなことが起こっているのだろう。 少年が生まれ変わってきたかどうかは別として、愛されてはぐくまれるこの命は 幸せだと思う。妊婦から幸せを分けてもらった、そんな一日になった。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――― ●第2話 話せない女性 ------------------------------------------------------------------------ ある日、私の知人が、おどおどしてやせ細った婦人を連れてきた。1ヶ月ほど前 から急に下腹部が腫れてきたのだという。患者である彼女は何も話さない。全て 知人が代弁し、彼女は表情だけでそれを肯定する。 下腹の腫れは妊娠5ヶ月くらいの大きさだ。“たぶん妊娠じゃない?”そう言う と知人も彼女もとても驚いた。“夫がいないのに?”はじめて彼女が口を開いた。 “じゃ絶対、妊娠の可能性はないの?”首を縦に大きく振る彼女。今度は私が考 え込んでしまった。妊娠じゃないなら、何これ? とりあえずお金を集め、病院で検査を受けさせた。結果はやはり妊娠だった。私 は奇病かと心配していたのでホッとはしたが、どうして嘘をついたのか疑問が浮 かんだ。 彼女は27歳なのに40歳過ぎに見える。聞けば小学校にも行けず15歳で結婚をした。 子どもは5人生んだが、3人しか生きていない。10年連れ添った夫は2年前に蒸発 し、今は子どもを他人に預け、やっと見つけた住み込みのお手伝い仕事をして子 どもたちの食費を作った。 お腹の子どもの父親は雇い主だという。夫でない人間との、まして強要される形 での性交で妊娠するなんて思っていなかった…と彼女が言った。 何という無知、“それは男側の犯罪だよ!どうして黙ってるの?…それにこれか らどうするの?”先の事を心配する私に、彼女は困ったように微笑むだけで、今 までと同じように黙って働き続けた。何も考えていないかのように…。 やがて臨月になり赤ちゃんは生まれた。彼女に似たのか、泣き声のか細い赤ちゃ んだった。産後翌日から仕事に戻ろうとする彼女を私は止めた。 “せめて1週間休まなきゃ。”すると彼女は寂しそうに微笑みながら“働かない とここを追い出されちゃう、ほかに仕事ないし、お金送らないと子ども食べられ ないよ。”と呟いた。 我が子の為だけに働こうとする彼女を私は止められず、少しでも彼女の身体が休 めるようにと雇い主に話し、友人たちも彼女の仕事をそれとなく手伝った。今も 乳飲み子を抱きながら、不思議な関係のまま働き暮らしている。 ここの貧しい人々は困った状況になると隠れたり、逃げたり、耐えることを選ぶ。 決して自分の権利のために戦うことはしない。いや、戦う勇気も自信も余力もな いのだ。「弱者はいつまでも弱者」の構造がここに見える。こんな人々を守る社 会制度は、ここでは作られる見込みはない。 せめて、私のクリニックは、病気やお産の時にお金の心配をせずに、気軽に来る ことができる場所であり続けよう。一人で出来ることの限界と自分が出来ること をこなして行く大切さを改めて考えた。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ★冨田さんの活動を支援していこう!★ 今回冨田さんからのお便りには、以前届いた支援物資の使い道についても、詳し く書かれていました。その一部をご紹介します。 ------------------------------------------------------------------ 貧しい子どもたちが遊びにくることが多いクリニック、 支援物資のおもちゃは子どもたちの大事な遊び相手に。 逆子のお産で、お母さんの様子を泣きそうになりながら 見守っていたお兄ちゃんは、スヌーピーのぬいぐるみを、 ぎゅっと握り締めていた。 脳性麻痺になってしまった5歳の男の子、歩くこと、手を 動かすこと、食べ物を咬むこと、しゃべることも出来ず、 医師からは希望はないと見放され、“貧しい人のためのク リニック”との噂を頼って、私の所へ来た。 「諦めてはダメ!できることをしてみようよ。」 両親にマッサージの仕方、食事指導、生活の注意と一緒に 日本の支援者から頂いたビタミン剤、とこちらで手に入る 漢方薬を服用させるように説明し、祈る気持ちで彼らを見 送った。 そして2週間後、再び少年は両親に抱かれてやって来た。 母親がうれしそうに「ご飯が噛めるようになったのよ!!」 と教えてくれた。 ------------------------------------------------------------------- 私たちが送ったものが、こんなにも役に立っている!とは…。押入れの奥で眠っ ているものが、これほど喜ばれるとは…。送った私たちも、幸せを分けてもらっ ている気持ちになります。 ワハハでは、今後も冨田さんの活動を支援していきたいと思います。 みなさまもぜひご協力下さい。 ▼富田さんへの支援物資の送付方法 |
◆「フィリピン・ピナツボ山麓の産屋から」 〜助産師 冨田江理子さんの助産日記〜 ◆その1 |
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◎【もっといいお産を考える委員会】◆フィリピンの小さな助産院を支援しよう! ⇒「フィリピン助産院支援」に御協力ありがとうございました! |
「フィリピンの小さな助産院を支援しよう!」に、 |
◎【もっといいお産を考える委員会】◆フィリピンの小さな助産院を支援しよう! |
ワハハスタッフの数名が参加しているお産関係のMLに、フィリピンのピナツボ山 |
◎【もっといいお産を考える委員会】◆「誕生死」が教えてくれること(前篇) |
Kuriです。『誕生死』という言葉を聞いて、あなたは何をイメージしますか? ワハハMLでもご紹介しましたが、今年春、流産、死産、新生児死で子どもをなく した家族がその憶いを綴った『誕生死』(三省堂)を出版。反響を呼びました。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4385360901/kosodatewahah-22 お産は「生命」を感じること。そして「生命」を考えることは、「生」と同時に 「死」を考えることでもあります。今回のワハハは、産科医療の中で『誕生死』 に関わってきた産科医の竹内正人さん(葛飾赤十字産院・第二産科部長)にお話 をお聞きしました。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――― ■『誕生死』って、どういうことですか? ------------------------------------------------------------------------ この言葉は日本には、なかった言葉です。 医学用語では「死産」や「流産」、もしくは「新生児死」という言葉に相当しま すが、これらは、あくまでも事実を医者の観点で表現したもので、いずれも体験 者にとっては、違和感があったり、受け入れがたい言葉だったりします。 死産のことを英語では「stillbirth」、「stillborn」といいますが、この言葉 には「それでも生まれてきた」という意味が込められています。これが『誕生死』 という言葉が生まれるきっかけになったようです。 日本でも昔は数え年で0歳も1歳と数えていましたよね。これは、たとえ死んで 生まれてきたとしても、それは「なかったこと」ではなく、「それでも生まれて きた」ひとつの命として受け止められていたと考えることができます。 『誕生死』は、まだ生まれたばかりの言葉で、まだまだ医療者にも知られていな い言葉です。現実には死産に際して、つい「次はいい子どもを産みましょうね。」 などと言ってしまっているのが現状です。もっと子どもやその体験者側の視点で ものを語りたい、一方的な発想を変えてしまいたい、そんな気持ちがこの『誕生 死』には込められています。 ※死産は国によって定義が異なっている。日本では死産の届けは12週以降と なっているが、それには人工死産(中絶)も含まれ、その数は厚生労働省 のデータでは3万7千人を超える。国際的な基準では22週以降に胎内から出 る前に死亡することとなっているが、その数は年間約5000人以上である。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――― ■『誕生死』という視点に気づいたきっかけは? ------------------------------------------------------------------------ 実はこれまで長く『誕生死』という視点には気づいていませんでした。もちろん 子どもの死を悲しいことだとは思っていましたが。 お産もそうですが、一度退院してしまうと、家族や本人がどういう状況におかれ るか、また感情がどんな推移をたどるかがわかりません。そして「死」というも のは、自分の心に納めて、他人がとやかく言うことでもないと思っていたんです。 一般に「死」を語ることは、タブーだとされるところもあるでしょう? あと死亡は「戸籍を汚す」という発想もありますよね。死を迎えたことで、本人 も含めて家族も周りも、「なかったこと」に、とか「早く忘れよう」とする傾向 が非常に強い。「でも実はそれは違うんじゃないか?」というのが、次第に現場 で見えてきたことです。もっと目の前の事実や、当事者の本当の気持ちを尊重し なくてはいけないのではないか、と。 以前、妊娠28週で染色体異常により死産した方に関わったのですが、彼女はその 後も病院に通い続けていました。彼女と話をしているうちに、次第に死産をした 人の気持ちを知るようになりました。その後、海外の文献をたどり始めたのが、 医師として『誕生死』を考え始めるようになったそもそものきっかけです。 その後、海外には“mourning(モーニング=亡くなったものを慈しむ、追悼する の意)”という考え方が発達していて、死産専門の分娩室があったりすることが 分かりました。家族だけで子どもの死と向き合う時間を持つ、イベントを持つ。 例えば、だっこしたり、お洋服を着せたり、一緒に写真を撮ったりする。足型を 取るところを写真に撮るetc。 生きて生まれてきた子どもと同じように死産を迎える、そういう場所と時間の重 要性をそこで知ったのです。 ------------------------------------------------------------------------ ▼この話は後篇に続きます ★メルマガ購読希望の方はこちら ------------------------------------------------------------------------ さて、竹内正人さんへのインタビューは、この後、 ■『誕生死』に医師としてどのように関わって、何を感じたか? ■もし『誕生死』を迎えたら、どうしたらいいのか? ■『誕生死』に関わることで、見えてきたお産 ・・・と続きます。ぜひ知っておきたい話、続きは後篇で。どうぞお楽しみに! ―――――――――――――――――――――――――――――――――――― ■イベント情報:誕生死を知るための集い 〜 誕生死を体験した家族への支援を考える 〜 ------------------------------------------------------------------------ 愛するわが子の死を充分に悲しむことのできない病院の現況。医療者のやりきれ ないことばの数々。そして、混乱の時期を経て再起に向かうにあたり、悲しみを 共有できない周囲の環境。 この集いでは「なかったできごと(non-event)」として取り扱われやすい、流産、 死産について、体験者とともに考えてみたいと思います。 =-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-= 誕生死を知るための集い 〜 誕生死を体験した家族への支援を考える 〜 =-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-= ▼日 時:平成14年10月6日(日) 午後1時〜午後4時(受付:12時30分〜) ▼場 所:日本赤十字社東京都支部2階大会議室 〒169-8540 新宿区大久保1-2-15 http://www.mapion.co.jp/here/kokosp/020822/mapi1125307020822145929.html 都営大江戸線『東新宿』駅下車徒歩3分、 西武新宿線『西武新宿』駅・JR山手線『新大久保』駅下車 徒歩13分 ▼参加費:1000円 ▼対 象:誕生死を体験された方、医療関係者、 一般の方(子連れOK。ただし託児はありません) ▼内 容:1.流産、死産の体験者からのメッセージ(2、3名) 2.「流産、死産を体験した方々への支援と現在の医療」 竹内 正人(葛飾赤十字産院) 3.質疑応答・フリーディスカッション ◆ご質問やお問い合せ:日本赤十字社葛飾赤十字産院 担当 竹内正人 〒124-0012 東京都葛飾区立石5-11-12 e-mail:s-birth@m78.com FAX:03-3693-8957 ------------------------------------------------------------------------ Text by Kuri ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━● |
◎【もっといいお産を考える委員会】 ◆「誕生死」が教えてくれること(後篇) |
Kuriです。さて、前篇に続いて『誕生死』のお話を続けます。 『誕生死』とは?、また『誕生死』を見つめるきっかけとは?のお話から、さら に突っ込んでいきましょう。お話は前号に続いて、産科医の竹内正人さん(葛飾 赤十字産院・第二産科部長)にお聞きしています。 悲しむべき「死」も視点を変えると、新しい道がそこに見えてくる・・・そんな 勇気さえ出てくるお話です。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――― ■『誕生死』に医師としてどのように関わって、何を感じていますか? ------------------------------------------------------------------------ 『誕生死』を迎えたとき、最初は「写真はどうされますか?」と家族の方にお聞 きしていました。でも皆さん断られるんですね。そんなこともあり、しばらく写 真撮影を勧めませんでした。でもその後、どうして写真を残すことを拒むのか、 そっと尋ねてみることにしました。 やはり「怖い」という気持ちが一番の理由のようでした。また日本では死者の写 真を撮ることに対する社会的慣習からの抵抗感がありますしね。 家族にとって、死産の事実は一生忘れることはないと思います。しかしその一方 で、物や写真などを残さないと、記憶が風化してしまい、逆に妄想に悩む人がで てくることがあります。 「記憶」としてそこに戻れるきっかけや場所、手がかりを作るということは、そ の後の人生を新たに歩んでいく上で、とても重要なキーをはらんでいます。また、 「怖い」という理由で、その時に子どもとしっかり向き合うことができなければ、 それが後々まで尾を引くことも多いようです。 つまり、逆説的ですが、手がかりが残っていること、そしてその子と一緒に共存 することが、母親や家族が死を乗り越えて、次に進んでいく力になるのです。 今は写真を撮る意味をきちんと説明した上で、写真を残すようにしています。私 が「家族写真を撮りましょう。」と言うと、今まで涙で一杯だった当事者や家族 が、精一杯のすてきな表情を見せてくれます。そして実際に、最初は写真を残す ことに躊躇していても、皆さん「撮ってよかった。」とおっしゃいます。 今、本当にごく一部の人だけが、死産に際しての心までケアを受け、多くの人に は適切な対応がなされていない現状を思うと心が痛みます。医療者にも、そして、 これから子どもを持つだろう人にも、もっと『誕生死』を知ってもらいたいと思 います。 また、日本は「死」に触れることはタブーになっているために、こういった体験 を話したり、聞いてもらったりする環境がありません。そしてオープンに聞いた り、話したりする場がないので、当事者は心を閉ざして、元気を装ってしまう傾 向があります・・・でも当事者は実は聞いて欲しいのです。 また本人が話すのも大切ですが、周りの人もそれに対して理解をして、話すきっ かけになるように積極的にかかわって欲しいなと思います。これは医師だけの役 目ではないと思います。昨年のアメリカの911・同時多発テロでも被害者が話し、 それをみんなが聞き、というアクションが効果を上げています。 死をタブー視せず、ネガティブなものを積極的に話すようにしたい。これは「い かに生きるか」「社会のあり方」などあらゆることに通じることになりうると思 います。「がんばりなさい」より、「悲しい」「弱い」を認めてあげることの重 要性ですね。まだ日本は、そういう意識はまだまだ低いと思います。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――― ■もし『誕生死』を迎えたら、どうしたらいいんでしょうか? ------------------------------------------------------------------------ もう、これは答えはひとつ。 「家族の時間を作ること」。これに尽きます。そう、家族で、です。 これは今まで、そして今もですが医療の中ではできなかったことでした。でもほ んの一時間でも、できれば一晩一緒の時間をすごしてもらう。たったこれだけの ことですが、この時間を持つことが、その後の時間を本当に前向きにしていく原 動力になります。少しでも同じ布団で寝るとか。その子どもが抱かれないまま葬 儀に出てしまうようなことはして欲しくありません。 日本人は弱さを見せようとしない傾向があるんですが、怖がらないで欲しいので す。あと「そういう習慣がないから」といって恥ずかしがらない。またこういっ たケアや対応をしている施設も多くないので、できるだけ「こうしたい」と当事 者から提案して欲しいですね。そしたら医療ももっと早く変わっていけます。 あとは前に話した欧米の例のように、その事実を残すことも大切。それができる と、家族や本人がすごく変わるのがこれまで見ていても、よくわかるんです。 周りの人はね、ひたすら話を聞いてあげるんです。とにかくひたすら。何も言わ なくてもいいです。聞いてもらえる人がいることが最も重要ですから。「大丈夫」 といってしまう人、元気を装う人も多いけれど、もっと素直に感情を出せるよう になれるといいなと思っています。その環境を提供するような努力を聞き手はし ていく。 本人が泣けなかったら、こっちから泣いてもいいかもしれません。周りは悲しさ を認めてその意思表示をするというのかな。ティッシュをもってきて、一緒に泣 くとかね。余計なコメントはしなくていいんです。 人のあり方として、悲しいときに悲しむことができる、楽しいときには楽しめる 感情はとても大切です。生理的に言うと感情を出しているときはアドレナリンが 出ているのですが、アドレナリンが出ている限りは、極端な話、自殺ができない んですよ。実際に自殺をするのはもっと先の状態なんです。 これだけでもいかに人間が感情を持つこと、出すというのが大切なことか分かり ますよね。感情を出しながら、人間は自らを守っているとも言えるんです。だか ら感情にふたをしてはいけない。 ショック、否認(そんなことはなかったんだ、まだ子どもは生きていると、事実 を否定する気持ち)を「悲しみ」や「怒り」に変えていく。そんなプロセスを経 て、現実を受け入れる「適応」が可能になり、さらに「再起」へと立ち直ってい くのです。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――― ■『誕生死』に関わることで、お産の見方も変わったのでは? ------------------------------------------------------------------------ 変わりましたね。明らかに変わりました。 「死」を見ることで、「生」である「お産」の見方も深まりました。亡くなった 子と時間を過ごす大切さを知ったおかげで、お産の後に母子がともに過ごす時間、 抱きしめることの重要性をもっともっと知ったように思います。 医療者としても、これまでの慣習にとらわれず、もっと子供や母子、家族にかか わっていくかが改めてテーマになりました。子どもと家族が過ごす時間の重要性、 というのかな。その時間で愛着、絆が本当に深まることを感じています。 前号でも少し触れましたが、悲しみから再起するということは、その事実を忘れ ることではなく、「共存」することなんです。また再起するまでの時間も人それ ぞれです。早い人もいれば、長くかかる人もいます。 そうそう、この再起が始まるころ、もう一度、亡くなった子の話をしたくなるこ とがあります。でも、そこでまた聞いてくれる人って、そんなにいないんですよ ね。でもそこで「話す」「聞く」ことも大切です。そうすると本当の再起が訪れ る。亡くなった子の存在を周りも覚えていてあげていることも大切です。「かわ いかったんだよね」とかね。なかなか言える人は少ないですけどね。 「人間らしく過ごす」っていうことは、こうやって体だけの話じゃなくて、本当 の自分というのかな、自分の心ともじっくり向き合うことからですよね。もっと 自分を大切にして生きたいな、とも思います。 ▼本日はお忙しい中、本当にありがとうございました。(インタビュー終了) ------------------------------------------------------------------------ 竹内さんの話の続きは、ぜひ、この↓イベントで。私たちワハハのスタッフも、 一部参加予定です。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――― ■イベント情報:誕生死を知るための集い 〜 誕生死を体験した家族への支援を考える 〜 ------------------------------------------------------------------------ ワハハMLでもご紹介しましたが、今年春、流産、死産、新生児死で子どもをなく した家族がその憶いを綴った『誕生死』(三省堂)を出版。反響を呼びました。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4385360901/kosodatewahah-22 愛するわが子の死を充分に悲しむことのできない病院の現況。医療者のやりきれ ないことばの数々。そして、混乱の時期を経て再起に向かうにあたり、悲しみを 共有できない周囲の環境。 この集いでは「なかった出来事(nonーevent)」として取り扱われやすい、流産、 死産について、体験者とともに考えてみたいと思います。 =-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-= 誕生死を知るための集い 〜 誕生死を体験した家族への支援を考える 〜 =-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-= ▼日 時:平成14年10月6日(日) 午後1時〜午後4時(受付:12時30分〜) ▼場 所:日本赤十字社東京都支部2階大会議室 http://www.mapion.co.jp/here/kokosp/020822/mapi1125307020822145929.html 〒169-8540 新宿区大久保1-2-15 都営大江戸線『東新宿』駅下車徒歩3分、 西武新宿線『西武新宿』駅・JR山手線『新大久保』駅下車 徒歩13分 ▼参加費:1000円 ▼対 象:誕生死を体験された方、一般(★子連れ参加OK。託児はありません)、 医療関係者 ▼内 容:1.流産、死産の体験者からのメッセージ(2、3名) 2.「流産、死産を体験した方々への支援と現在の医療」 竹内 正人(葛飾赤十字産院) 3.質疑応答・フリーディスカッション ◆ご質問やお問い合せ:日本赤十字社葛飾赤十字産院 担当 竹内正人 〒124-0012 東京都葛飾区立石5-11-12 e-mail:s-birth@m78.com FAX:03-3693-8957 ------------------------------------------------------------------------ Text by Kuri ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━● |
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―――――――――――――――――――――――――――――――――――― ■「誕生死」という言葉の由来 ------------------------------------------------------------------------ 書籍『誕生死』の出版を担当された三省堂出版部の阿部正子さんが、ワハ ハで詳細をお話していなかった名前の由来を詳しくお寄せくださいました。 阿部さんのメールより、ご本人の許可をいただき、一部編集して転載します。 ======================================================================== :初めまして。三省堂出版部の阿部と申します。4月に刊行した『誕生死』の本 :の編集を担当した者です。 : :「誕生死」について検索した著者から貴サイトを教えてもらいました。『誕生 :死』の本のことをとりあげてくださり、ありがとうございました。大変面白く :拝見しました。 : :この本を読んで著者あてに手紙をくださり、著者にシンポでの発言の場を提供 :してくださった葛飾赤十字産院の竹内先生が、貴サイトのQ&Aで「誕生死」の :由来についてコメントされていますが、ご参考までに補足させて頂きます。 : :この「誕生死」という言葉はまったくの造語です。 : :この本のために作った言葉で、私から知り合いのコピーライターに頼んで考案 :してもらったものです。 : :「流産・死産・新生児死」のどの段階でも変わりなく、やはり親が子をかけが :けえのない命として感じる思いは同じであるということを知って、これらをす :べて包括的に表現できる言葉を探しました。 : :「お腹の中だけで終わった命であれ、産まれた後であれ、小さな命をいとおし :む、悲しむことは人間として当たり前のことだよね」というメッセージを著者 :たちが初めて実名で発信した本でしたので、社会的にムーヴメントとして認知 :されるためには、みんなで気持ちを共有できるようなキーワードが必要だと思 :いました。 : :英語の方にはサイトに書かれていたように死の側だけでなく、「stillbirth」 :には「生」のイメージも入っているので、それをなんとか日本語に置き換えら :れないかと考えました。 : :結果としてできた言葉が「誕生死」でした。 : :あまりに強い言葉で、コピーライターから見せられたときは、一瞬ハッとしま :したが、著者の中には「一目見て自分の気持ちが表現されているようで涙が出 :た」という方がいて、ホッとしました。某大手新聞社の記者さんは「今年の新 :語大賞ものだ」と絶賛してくれました。 : :一番うれしかったのはすぐに体験者の間で浸透したことです。 : :本が市場に出たあと、著者のホームページの掲示板の感想欄で「うちの子も誕 :生死でした」とか「いついつ誕生死しました」とかすぐ使われ始めて、「誕生 :死する」という動詞形にもなっていました。浸透の早さにびっくり。皆さんが :違和感なく使ってくれたのですね。 : :コピーライターもとても喜んでいて、自分がなきあともこの言葉だけはもしか :したら生き残っていくと思うと感慨無量だということでした。ちなみにこのコ :ピーライターは男性です。 : :「誕生死」は死の側からでなく、「生」の側から光をあてた言葉ということ。 :つまり、「赤ちゃんの側からの言葉」だということにもなります。これはあと :で気づいたことですが。流産も死産もお産の言葉ですから、赤ちゃんの側から :の言葉ではなかったわけですね。 : :ともあれ、今までなきものとされてきた小さな命たちが自己主張を始めて、そ :れにたまたま私が本づくりということで出会ったという気がします。 : :この「誕生死」という言葉も、出るべくして出た言葉なのでしょう。三省堂の :大辞林のウェブ辞書でも新語として登録されました。『誕生死』の本は台湾で :の翻訳が進行しています。漢字文化圏なので、このままタイトルを使ってくれ :るといいなと思っているところです。 ======================================================================== 三省堂の阿部さん、ありがとうございました。詳しくお話してくださったこと、 そして、ますます深い理解のチャンスをくださって、ありがとうございました。 ちなみに阿部さんは、とってもエネルギッシュな方です。当日は会場でもお会い しましたが、他にもダウン症の子どもの本、農薬に関する本などもご担当とのこ とでした。ますますのご活躍をお祈りしています。 ------------------------------------------------------------------------ 『誕生死』著者:流産・死産・新生児死で子をなくした親の会 本体価格: \1,300 出版:三省堂 発行年月:2002.4 ------------------------------------------------------------------------ ■この本を bk1で買う・アマゾン書店で買う ------------------------------------------------------------------------ Text by Kuri ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━● |
◎アフガニスタン助産院設立運営支援のための募金閉鎖のお知らせ 〜ワハハからアフガニスタン助産院設立に寄付しました〜 |
------------------------------------------------------------------------ 以前、アフガニスタン助産院設立のための募金を呼びかけましたが、このたび、 プロジェクトがひと段落着いたとのことで、(社)日本助産師会より募金閉鎖のお 知らせがありました。皆様のご協力、ありがとうございました(o^∇^o)ノ 以下、転載OKとのことで、ご担当者の中田さんより、お知らせいただきました。 ------------------------------------------------------------------------ 社団法人日本助産師会より、アフガニスタン助産院設立運営支援のための募金閉 鎖のお知らせです。 NPO法人、日本医療救援機構が、アフガニスタンで助産院を設立・運営という事 業に取り組まれ、 茨城の助産院、ベビーヘルシー美蕾院長の瀬井房子先生をは じめ、日本の助産師さんたちが数名がこの事業に携わっておられました。 しかしこのたび、難民キャンプの閉鎖に伴い、助産院の活動も終了されました。 この活動の終了を受けまして、助産院設立・運営のための募金は終了させていた だきます。 皆様のあたたかいご協力、本当にありがとうございました。この場をおかりして 厚く御礼申し上げます。 難民キャンプの助産院は閉鎖されましたが、日本医療救援機構によるアフガニス タンへの支援は継続されています。また、ベビーヘルシー美蕾のスタッフである 助産師さんが、今もアフガニスタン国内で活動しておられることを、申し添えさ せていただきます。 なお、上記募金のための本会の銀行口座ですが、引き続き、「災害援助基金」と して開設しております。今後いただいたご寄付は、ほかに災害などに見舞われて 金銭的な援助を必要とする人々のために、活用させていただきます。引き続き、 皆様のご支援をお願い申し上げます。 社団法人日本助産師会災害援助基金の口座は以下の通りです。 「募金の振込先」 ・みずほ銀行・飯田橋駅前支店(店番号206) ・普通口座: 1464661 ・口座名: 社)日本助産師会災害援助基金 代表 近藤潤子 あらためまして、アフガニスタン助産院支援募金へのご協力、ありがとうござい ました。今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。 中田 かおり 助産師、看護師、MSN、CS (周産期看護) (社)日本助産師会 国際部主任 〒102-0071 東京都千代田区富士見1-8-21 TEL: 03-3262-9910 FAX: 03-3262-8933 ----------------------------------------------------------------------○ ご報告が遅れましたが、2002年4月に子育てワハハより、ハーブなどの売上金の一 部から一万円をアフガニスタンでの助産院設立・運営のための寄付をしました。 新聞でも報道されていますが、NPO法人日本医療救援機構がアフガニスタンで助 産院を設立するという事業に取り組んでいます。この事業には、茨城県の助産師 瀬井房子さんも携わっていますが、彼女は今年、アフガニスタン北部のマザリシャ リフに開設された助産院を視察、自身も約百人の女性を健診しました。現地では 四人の日本人助産師らが常駐、難民キャンプにいる妊娠中の女性のケアと出産介 助を行っています。 (社)日本助産婦会が彼女のサポートも含め、この事業に何らかの支援をと募金活 動をはじめています。寄せられた基金は、瀬井さんを通して、アフガニスタン助 産院設立・運営事業に役立てられます。現在も寄付は以下の口座で受け付けてい ます。 ▼募金の振込先 ・みずほ銀行 飯田橋駅前支店(店番号206)普通口座 1464661 ・口座名:社)日本助産婦会災害援助基金 代表 石塚和子 募金の要領他については(社)日本助産婦会 国際部主任 中田かおりさん(〒 102-0071東京都千代田区富士見1-8-21 TEL: 03-3262-9910 FAX: 03-3262-8933) にお問合せください。 Text by Kuri ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━● |
poiの助産院レポート <もっと身近に助産院>> |
----------------------------------------------------------------------○ poiです。こんにちは、あなたは助産院へ行ってみたことはありますか? 助産院と言えば「お産をするところ」、というのは誰でもご存知ですよね。でも 実際はお産だけにかかわらず、体の不調やメンタルなケアなども受け入れてくれ る、女性にとっての強〜い味方になってくれるところということが分かりました。 今回はそんな、思春期から更年期までもフォローする、“女性のココロとカラダ の味方”としての助産院を取り上げてみたいと思います。 ==================================================== c o n t e n t s [1] そもそも助産院って? [2] さっそくおじゃましてみました [3] 助産婦からみた女性のからだ [4] 生まれてくる人たちのために [5] 女性たちに送るメッセージ ==================================================== ----[1] そもそも助産院って?------------------------------------------- 知ってそうで案外知らないのが「助産院」と、それを運営する助産婦さんのお仕 事かもしれません。近頃は助産院での出産がじわじわと増えているようですが、 やはり「お産をする場所」というのが私たちの一般的な認識ですよね。でも助産 婦さんのお話を聞いてみると、どうやらそれだけではなさそうです。 助産婦さんは、妊娠・出産を含めた女性の一生の性と、健康に関わる問題を受け 入れる場所として、助産院を運営しているそうです。具体的には思春期の問題や 更年期症状の緩和、さらには家族間の人間関係の相談や、妊娠前の身体づくりの アドバイスなどなど、じつに多岐にわたって私たちをサポートしてくれるそうな のです。知ってました(^^)? 私は知りませんでした〜。 ----[2] さっそくおじゃましてみました------------------------------------ では「実際に助産院ってどんなところなの?」「どんなことをしてくれるの?」 というわけで、さっそく助産院におじゃましてまいりました。場所は東京世田谷 にある「お産の家Beborn」、私がベビーマッサージを教えていただいた助産院で もあります。 Bebornはアロマオイルによるマッサージなども行っているせいか、入り口のドア を開けたとたん、フワ〜っと甘い香りが漂ってきて一気になごみます。そして静 かな心地よい音楽が流れるなか、助産婦のたつのゆりこさんにお話を伺いました。 ----[3] 助産婦からみた女性のからだ-------------------------------------- 私のソボクな疑問、それはここでお話するのも恥ずかしいのですが、「どうして 女性には助産院があるの?男性の行く助産院ってないね」ということでした。も ちろん女性は産む性であるから、ということもあるのですが、たつのさんはその あたりのことをまったく単純明快に答えてくれました。いわく、 「女性はバランスが複雑。良い方にも悪い方にもコロコロと変化する。」 のだそうです。 だから女性には自律神経やホルモンの変化をこまめに調整してあげて、体調を整 える必要があるのですね。助産院はそういう役目も果たしているようなのです。 それともうひとつ言っていたことがありました。それは 「女性は男性に比べて心と体が表裏一体となり、密接に結びついている」 ということでした。 みなさんにも覚えがありませんか?「ストレスがたまっておっぱいがあまり出な くなってしまった」「気分が落ち込んでいるときにかぎって風邪をひいてしまう」 などなど。心が不安定だとすぐ体に影響がでて、その逆もまたしかりということ なのだそうです。たつのさんは、 「トラブルは何かを学ぶためのものと考えて、プラス思考でいきましょう。 そうすれば結局は何事も改善に向かいます」 とアドバイスしています。 なるほど心がプラス思考なら体への悪い影響も少ないし、もし体に不調が起こっ ても、プラス思考で捉えればそれは自分の生活を見つめ直すチャンスともなるわ けですね。女性はすぐに影響が出るぶん、治りも早いということですから、実行 すればすぐにでも効果が現れるかも!? ちなみに助産婦という資格は、看護婦の免許を取得したあと、さらに国家試験を 受けて得るものだそうです。なんだかよりいっそう心強く感じますね。たつのさ んも「助産院は門のような存在。まずは初めに気軽に立ち寄ってみてほしいです」 と笑顔でおっしゃっていました。 ----[4] 生まれてくる人たちのために-------------------------------------- ここで少し話題を変えて、助産院のもうひとりの主役である赤ちゃんについての お話もしましょう。 みなさんは育児っていつから始まるものだと思いますか?私はもちろん「産後に 決まってるでしょ〜」と思っていました。つい最近までは・・・。実は助産院へ の取材は、ここBebornで3件目となる私なのですが、3人の助産婦さんが3人と も私にこう言ったのです。 「育児は妊娠する前から始まっているんですよ」 うっそー!えぇ、まさか〜!?でも待って・・・。言われてみれば、妊娠前はこ ういうふうに育ててみたいという希望がちゃんとあったり、妊娠したら食事に気 をつけたりお腹に話し掛けてみたり、お産はまさに子どもと真っ正面から向き合 う点では、育児そのもの!う〜む、これってホントかもしれません。 赤ちゃんを迎えるには、気持ちいいなぁと思ってもらえるお家(子宮ですね)が できているか(=体づくり)と、待ち望んで妊娠したかどうか(=心構え)とい うものが大事になってくるんだそうです。そして生まれてからは、いつも見てく れているという安心感や、気に掛けてくれているという実感が赤ちゃんにとって はとても重要なことなのだそうです。赤ちゃんはとっても愛されたがっているん ですね。 ----[5] 女性たちに送るメッセージ---------------------------------------- 最後に、助産婦でありながら鍼灸師の資格も持ち、たくさんの女性たちをサポー トしてきたたつのさんに、女性たちに送るメッセージがあればぜひ!と伺ってみ ました。 「自分の内なる声にもっと耳を傾けてほしいですね。 今の世の中は情報が多すぎます。答えは自分がもっていますから、 どうぞ自分を大事に、もっと愛してあげてください」 う〜ん、私にとっては耳の痛いお話でありました。いつも自分の感覚はそっちの けで、情報にすがりついてばかりいる毎日ですから。「自分を愛して」というメ ッセージも、振りかえると夫のため、子どものためばーっかりで、いったいいつ 自分を愛してあげたんだろう?と考えて、ハッとさせられました。みなさんはど んなふうに感じましたか? *** *** *** 体だけでなく心もほぐしてくれる助産院の特集、いかがでしたか?私たちはもっ と助産院を身近に感じてもソンはありませんね。「だれか私の話を聞いて〜」と 思ったとき、「なんだか調子がおかしいけど、これって何〜?」と思ったとき、 一度訪れてみてはいかがでしょうか? みなさんにとって助産院が身近な子育てのサポーターになりますように(^^) ○参考ホームページ 「お産の家 Be born」 http://beborn.hoops.livedoor.com/ text by poi ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━● |
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